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遇斯光庵だより(第247号)

2010年4月2日更新

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春寒し 背筋伸ばして辞表書く

 今朝4時、有田工業高校の入学式の祝辞を書き上げ、朝刊を広げます。読売新聞の〈編集手帳〉に、先月30日、90歳で亡くなられた、以前、このブログでも紹介したことのある歌人・竹山広さんを偲ぶ、次の記事が掲載されていました。「サクラの季節に逝った人に、その花を詠んだ歌があった。〈さくらよりさくらに歩みつつおもふ 悔恨ふかくひとは滅びむ〉。人間の愚かさが行き着く果てを見届けた人だけが持ち合わせる静けさだろう」
 青年時代、長崎で被爆した竹山さんは、30年前、61歳での遅い歌壇デビューでした。「くろぐろと水みち水に打ち合へる死者みちて わがとこしへの川  われの世に戦争ありき 次の世のなほおほいなる戦争のため  死ぬときは死ぬとかならず言ってよと泣きゆく妻静かになりぬ」竹山さんの歌です。合 掌。

 昨日、先生方の着任式直後の臨時教育委員会で、教育長の辞職を承認していただきます。夕刻、所用で出かけた有田小学校の校庭のサクラは、雨に打たれ散り始めていました。「花に嵐のたとえもあるがサヨナラだけが…」と、詠ったのは井伏鱒二、私のわがままなブログも今回で終わり、「悔恨ふかく…」です。長い間、ありがとうございました。

  春寒し 背筋伸ばして辞表書く    大  空

 季節外れの大雪が降った、3月中旬の夜明け前のことです。晩年の父遺愛の極太の万年筆で書き終えた辞職願を仏壇に供え、両親の遺影に報告します。
 額のなかの母はいつもの寂しそうな笑顔、一文字に結んだ父の口元が少しほころび、一瞬、「ご苦労さん」と声をかけてくれたように錯覚します。
 父の辞職願は、硯に向かってだったでしょうが、この愛用の万年筆で、晩年の父は何を書き、何を考えたのでしょう。両親の遺影の前で、しばらく瞑目します。
 玄関のドアを開けると、国見連山、家々の屋根も大地も白銀の世界です。早目の朝食をすませ、有田ダム経由で泉山に向います。大公孫樹を仰ぎ、辞職願を書き終えた報告を大樹にするためです。
 新芽をつけ始めた大公孫樹の梢の雪が朝陽に照らされ神々しいまでに輝き、大粒の塊になって私の頭上に降り注ぎます。
 有田400年の歴史、私の4年間の仕事を見守ってくれた大樹です。行きづまり、思案にくれると、この大樹の下に立ち、活路を見出したことが幾度もありました。
 「卒業論文を書かなくていいのか」大公孫樹が語りかけます。
 そうだ、せめて4年間の経過報告書は遺しておこう。降りしきる雪の礫を受け、大樹を見上げながら私は考えました。
 西有田時代には、町の広報誌に対談記事を連載、合併後の有田町のホームページにも、気ままなブログをアップすることを許していただきました。
 私が何を祈り、何を考えて教育長の仕事をしてきたか、折々に書き連ねた『教育長室の窓から 遇斯光庵だより』を抜粋、整理して、冊子にまとめる決心をした瞬間です。

  花冷えや ちちのまなざし ははの笑み    大 空

(2010・4・2 金)

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遇斯光庵だより(第246号)

2010年3月14日更新

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中学校を卒業するみなさんへ-3-

 失敗や挫折を恐れないでください。自分がやるべきことは何か、内から湧き出る情熱をバネに、夢の実現に向って立ち向かう姿こそ、人を感動させるのです。挫折や失敗を乗り越えることで、人はたくましくなり、周囲への感謝と人間としての優しさを身につけることが出来るのです。人が生きていく上で、失敗や挫折ほど素晴らしい教師はありません。
 失敗と言えば、オリンピックの開会式では、四本の聖火台のうちの一本の氷柱が立ち上がりませんでした。閉会式の冒頭、つるはしでその一本の氷柱を掘り出すパントマイムで立ち上げ、点火式をやり直す見事な演出で、観客をうならせます。繰り返します。失敗や挫折ほど素晴らしい教師はないのです。
 子ども達を今日の日まで、元気に育て、心豊かにお導きくださいました、保護者のみなさま、校長先生をはじめ諸先生方、これからも彼らを見守り、ご指導いただき、有田中学校のため、お力を頂きますようお願い申し上げると共に、本日の晴れの卒業式にご臨席賜り、祝福いただきましたご来賓のみなさまにお礼を申し上げ、私の好きな吉野弘の『奈々子に』という詩を朗読して告辞とします。

 奈々子に                  吉 野  弘

 赤い林檎の頬をして/眠っている 奈々子。

 お前のお母さんの頬の赤さは/そっくり奈々子の頬にいってしまって
 ひところのお母さんの/つややかな頬は少し青ざめた
 お父さんにも ちょっと/酸っぱい思いがふえた。

 唐突だが 奈々子/お父さんは お前に/多くを期待しないだろう。
 ひとが ほかからの期待に応えようとして/どんなに 自分を駄目にしてしまうか
 お父さんは はっきり/知ってしまったから。

 お父さんが お前にあげたいものは/健康と 自分を愛する心だ。

 ひとが ひとでなくなるのは/自分を愛することをやめるときだ。

 自分を愛することをやめるとき ひとは/他人を愛することをやめ
 世界を見失ってしまう。

 自分があるとき/他人があり 世界がある。

 お父さんにも/お母さんにも/酸っぱい苦労がふえた。
 苦労は 今はお前にあげられない。

 お前にあげたいものは/香りのよい健康と/かちとるにむずかしく
 はぐくむにむずかしい/自分を愛する心だ。

 卒業 おめでとう

(2010・3・14 日)

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遇斯光庵だより(第245号)

2010年3月13日更新

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中学校を卒業するみなさんへ-2-

 日本だけでなく、世界中の人々から注目され、大変なプレッシャーの中での韓国のキム・ヨナ選手との金メダル争いです。「真央はもう一人の私。彼女がいたから強くなれた」これは、キム・ヨナの言葉だそうです。人生に良きライバルをもつことほど幸せなことはありません。
 試合前、「かつて、練習で出来なかったことが本番で出来、今は練習で出来ることが本番で出来ない」と語る、あどけなさの残る彼女の言葉に、日本中の期待を一身に背負わされる重圧を私は感じたものです。天才少女・キム・ヨナの完璧な演技をたたえると共に、本番で果敢にトリプルアクセルに挑戦した浅田真央選手の涙に、私は金メダル以上の輝きをみたのです。

 三人目は、女子モーグルで四位となった上村愛子選手の涙です。中学生時代に、心臓に穴があいている《先天性心室中隔欠損症》という病気だと知ります。心臓から聞こえる大きな雑音に、死の恐怖を訴える彼女に、「人それぞれ顔が違うように、体も違うのよ」と、お母さんは教え、いじめに苦しむ彼女には、「いじめの加害者に抗議するより、もっと強くなりなさい」と、優しい気持ちと笑顔の大切さを教えられたそうです。

 多くの悲しみと苦悩を乗り越えた本物の優しさが、上村愛子の笑顔に隠されているのです。「もし、私の心臓に穴があいていなかったら、私は今頃、スキーをしていないでしょう。心臓に感謝しなければ……」と語り、「自分を信じ、明るい未来を強く願えば、それは叶う。輝く私がきっとそこにいる」と、上村愛子選手はブログに書いています。
 十八歳で初出場したオリンピック長野大会で七位入賞、ソルトレートでは六位、トリノで五位でした。今年、三十歳の彼女は、一時、引退も真剣に考えたそうです。しかし、大怪我を克服して頑張るアルペンスキーの皆川賢太郎選手と出会い、結婚し、金メダルを目標に決意も新たに、心身ともに充実して挑戦したこの度のバンクーバー大会でした。

 目標のメダルを逃した試合直後、「支えてくれた人に、メダルを持ってありがとうと言いたかった。それが出来なくて……」「なんで、こんなに一段、一段なのだろう…」と語った上村愛子選手。日の丸が描かれた彼女のヘルメットに、容赦なく冷たい雨が叩きつけ、彼女の大きな美しい瞳から、とめどもなく涙があふれ出ていました。

 その、上村愛子選手の見守る中、ご主人の皆川選手はスタート直後、十秒でコースアウト、棄権という無念の結果になりました。トリノ五輪で四位入賞、メダルが期待されていただけに、「四年間がこんな形で終るとは……人生にはこんなこともあるのでしょう」と、無念さを押し殺して、さわやかに語る皆川選手の姿も印象的でした。

 スピードスケート女子パシュート、2400メートルを三人が一緒に滑る団体決勝戦で日本チームは、わずか100分の2秒、エッジ半分の差でドイツに破れ、金メダルを逃し、「もう少し、私の足が長かったら……」と、穂積選手は悔しがります。勝敗は時の運です。
 三人の涙に共通するのは、怪我や挫折、極度のスランプを乗り越え、日々、限界に挑戦し、ひたむきに夢を追い続けたアスリートたちの美しい姿です。

(2010・3・13 土)

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遇斯光庵だより(第244号)

2010年3月12日更新

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中学校を卒業するみなさんへ-1-

 先日の教育長会で、ある町の教育長さんから江戸後期に尊王論を唱え、吉田松陰をはじめ、幕末の志士に多大な影響を与えた高山彦九郎の墨書を拝見させて頂きました。久留米の友人宅で自刃して果てる直前に日田の客舎でしたためたもので、尊王のため死も覚悟した悲憤慷慨の文面に圧倒されます。
 高山彦九郎の辞世の歌は、「朽ち果てて身は土となり墓なくもこころは国を守らんものを」としてあまりにも有名ですが、吉田松陰の「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちるともとどめおかまし大和魂」と通じるものがあります。
 今日は中学校の卒業式、国を守り、世のために尽くす気概を持ってほしいと願い、教育委員会の告辞をおこないました。

 山々のこぶしが白い花をつけ、今週初めからの寒の戻りで、通学路の桜並木の木々の梢も開花の準備を始めている今日の佳き日、植松校長先生から、卒業証書を受け取るみなさんの逞しく凛々しい姿と、わが子の成長ぶりに感無量のご父兄のみなさんを見ながら、「良くぞここまで育ったものだ、良くぞここまで育ててくださった」と、先生方やご家族・地域の人々、そして、この恵み豊かな有田の大地に感謝のまことを奉げ、心より「おめでとう」と、お祝い申し上げるものです。
 卒業生のみなさん、あなた方はこの有田中学校にすばらしい足跡を残してくれました。みなさんが入学した年から始まった「トイレ磨き」が、そのひとつです。まだ、太田春美校長先生の時代でした。
 みなさんの仲間に入れてもらって、裸足になり、素手でたわしやスポンジを握り、私も便所磨きに参加させてもらったことがあります。
 最初は「臭い」「汚い」と言っていたみなさんが、便所磨きの実践を通し、「感謝の気持ちを大切にする」「落ち着いて自分の生活を見つめる」など、「人間として大切なことを、掃除の中で学ぶ」すばらしい校風を築いてくれました。
 みなさんが実践を通して示してくれた、有田中学校の伝統は、後輩の諸君にしっかりと受け継がれていくでしょう。禅の教えに、「脚下照顧」とあります。「理屈を言う前に自分の足元を顧みなさい」との教えです。トイレを磨きは、心磨き」、そんな校風を樹立してくれたみなさんに大きな拍手を贈りたいと思います。
 さて、卒業生のみなさん、今、旬の話題はやはり、冬季オリンピックでしょう。ここでは、バンクーバー大会での三人の日本人選手の《涙》について一緒に考えてみましょう。
 最初は、右膝の靭帯断裂と半月板損傷という大怪我を乗り越え、日本男子フィギュアの悲願だった初のメダルを獲得した高橋大輔選手です。手術は成功しますが、つらいリハビリに、「スケートなんかどうでもいい」と、逃げ出したこともあったそうです。
 フリー演技の冒頭で四回転ジャンプに果敢に挑戦して転倒した彼は、すぐに立ち上がります。イタリア映画『道』の旅芸人に扮し、時にコミカルに、時に哀愁を漂わせて情感豊かに最後まで演じきった高橋選手の演技力に、観衆は割れんばかりの拍手を贈ります。
 銅メダルが決定した瞬間、「やっと、ここまで戻ってこられたことが嬉しくて……」「演技は満足のいくものではなかったが、充実した時間をすごすことが出来ました」と、人目もはばからずに涙を流す高橋選手に、私は深い感動を覚えました。
 一年前の彼には、「怪我して良かった」と心から言える日が来ることなど想像もつかなかったのです。

(2010・3・12 金)

 

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遇斯光庵だより(第243号)

2010年3月11日更新

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春の嵐

 9日から10日にかけ、日本列島を春の嵐が吹き抜け、9日夕刻には県の教育委員会から、「雪での混乱を避けるため、翌日、開催予定だった県立高校の入学試験の開始を1時間遅らせる」旨の連絡が届きます。
 案の定、夜中に書斎でパソコンに向っていると、突風が窓を揺らし、10日の出勤する途中では、庭木が根元から倒れている風景にも出会います。
 10日午後は激しいみぞれ交じりの雨でした。婦人の家での総区長会をすませて教育委員会に戻り、栄養士の先生方と4月からの給食の食材の納入方法などについての打ち合わせです。年度末人事の会議に出発する頃は大雪で、山内町に入ると風景が一変、「この雪では、今夜は武雄温泉泊まりだな」と同行の学校教育課長と冗談を言います。
 この春の嵐で、鎌倉鶴岡八幡宮の樹齢1000年の大銀杏が根元から倒壊します。前夜からの雪の重みに耐え切れず、大銀杏はみしみしと悲鳴をあげていたそうですが、10日、早朝、落雷のような大音響とともに倒壊したそうです。
 樹の高さ40メートル、根廻り18メートルで大正15年、国の天然記念物に指定された有田・泉山の公孫樹より小ぶりですが、この樹も昭和30年には神奈川県の天然記念物にも指定されていた名木です。
「大海の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも」など、万葉調の格調高い歌を詠み鎌倉幕府の3代将軍源実朝を暗殺したのは、この大銀杏の陰に隠れていた鶴岡八幡宮の別当だった甥の公暁でした。
 今朝の読売新聞のコラム・〔編集手帳〕は、「実朝の死により、幕府との協調に絶望した後鳥羽上皇は倒幕を決意し、歴史の歯車は乱世に向って回転していく」と書き、「あり余る詩才を抱きながら26歳で非命に倒れた貴公子も、時代の暴風に翻弄された一本のイチョウの木であったと、と言えなくもない。『そういえば遠い昔、かの人も、このようにして…』―樹木にも記憶というものがあるならば、倒れゆく刹那、樹肌をよぎる感慨もあったろう」と結んでいます。

 合併後の新有田町の教育長に就任した夏のある日、私は泉山の大公孫樹をふり仰ぎます。文政11年7月の暴風雨に煽られた大火の時、大樹のおかげで樹の下の池田家は類焼を免れたと聞きます。有田400年の盛衰を見守ってきた公孫樹の幹に、宿木が繁り、からまりついた蔦や苔のためでしょうか、公孫樹の葉が、こころなしか小さくなり、樹勢が弱っているのが気がかりでした。枯れた大きな枝が直撃して、池田家の屋根を突き破り、2階に就寝していらっしゃったご家族を恐怖に陥れたこともあったと聞きます。私は、樹勢を回復するため、数年をかけて宿木や蔦を撤去するための予算を町にお願いしました。
 今朝、芽吹き始めた大樹の梢の雪が朝陽に輝く荘厳さに見とれる私の顔に、梢から落ちる大粒の雪が降りしきります。鶴岡八幡宮の銀杏と同じ運命をこの大公孫樹にたどらせてはなりません。
 今日は22年度の町の予算を採決する有田町議会の最終日です。本議会が終ると、改選期を迎える大部分の議員さん達は4月11日の選挙に向け動き出されることでしょう。病院問題が争点になる町長選挙の趨勢も気になるところです。
 繰り返します。有田のまちを暴風と雪の重みで倒れた鶴岡八幡宮の銀杏にしないため、それぞれの候補者の主張をしっかり聞いて、明日の有田のための一票を行使しましょう。

(2010・3・11 木)

 

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