黒島教会に残る有田焼の敷き瓦(タイル)

先週末の暖かさで梅の花が一斉に咲き始めたと思ったら、今朝の有田は雪がちらつく寒さです。
先週、キリスト教の日本への受容を物語る「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」に関して、政府がユネスコ(国連教育科学文化機関)世界文化遺産への推薦をいったん取り下げたと報道されました。16世紀以来のキリスト教の受容過程という全体の価値にどう貢献しているかなどの証明が不十分だということがその理由の一つらしいのです。以前、有田焼も世界遺産に、と動きがあったことがありましたが、窯跡など地中にあって、往時の様子がわかりづらいといわれました。世界遺産は目に見える形でわかるものが大事だとされるようで、そもそも幕府の厳しい禁教令の中で表舞台から身を潜めながら守り続けてきた信仰の姿を、どうすれば見える形に出来るのか、他所事ながら気になるところです。

そういう中、14日(日)に佐世保市の沖にある黒島から有田町を訪れた方々がありました。黒島には明治30年(1897)に建設が始まった黒島教会があります。その祭壇の床に敷き詰められているのは有田焼の敷き瓦です。しかも、長崎の他の教会でこの敷き瓦を使った例はないとのこと。製造したのは岩谷川内の窯焼きであった松尾徳助さん。このことは「季刊 皿山 No,60」ですでに紹介しましたが、今回、有田町を訪れた山内黒島観光協会理事長(黒島地区公民館長)や地域おこし協力隊の石津さんは、世界遺産の取り下げには少々がっかりされていましたが、だからといって黒島教会の価値が下がったわけでもなく、三度目の正直を狙うととても前向きでした。当館には松尾徳助家のご子孫から寄贈いただいた敷き瓦を所蔵しています。主文様は見方によっては十字架を意図したデザインのようにも見えます。でも、この敷き瓦は以前、長崎にあった炭鉱社という建物のベランダにも使用されていましたので、特に教会でのみ使われたともいえないようです。

kuroshima shikigawara

ところで、この松尾家は、幕末から明治期にかけて、長崎での貿易を手がけたり、石炭を燃料とする素焼き窯を始めたり、さらには上記のような敷き瓦というタイルの製造を行ったりという、まさに時代の先駆けをする“進取の気象”に富んだ窯焼きでもありました。その子孫の方は1616 / Arita Japanという新しい有田焼作りに取り組まれており、まさに徳助さんのDNAを引き継いでいらっしゃいます。

いずれにしても、今回の黒島からの訪問の意図は、世界遺産の教会と創業400年の有田焼が共に手を携えて町を活性化させる方法がないかということで、松尾家の子孫の方々が考えられたものでした。

私どもが黒島を訪れたのは13年ほど前になりますが、1800枚余の敷き瓦が海を渡り、黒島の信徒の皆さんが大切に守り続けて来られたことに、青い海を見ながら思いを馳せたことを懐かしく思い出した機会でもありました。(尾)  H28.2.16

 

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