有田の文化財⑳ -泉山磁石場-

第20回は、「泉山磁石場」です。
所在地は有田町泉山1丁目にあります。1980(昭和55)年3月24日に国の史跡に指定されています。

17世紀初頭、豊臣秀吉の時代におきた、朝鮮出兵の際、日本へ多くの陶工と職人が連れてこられました。その中に朝鮮人陶工の李参平こと初代金ケ江三兵衛らがいました。その金ケ江三兵衛が1616年に有田へ移住し、有田の泉山で磁器の原料となる磁石を発見しました。その後、今日まで磁器の原料を掘り続けた結果、一つの山が無くなり、現在の状態になっています。昔は現代にあるような機械はなかったので、すべて手掘りで採掘を行っていました。その証拠に有田陶磁美術館に展示してある「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」に採掘を行っている時の絵が描かれています。また、泉山磁石場にいまだ残る2つの穴の中には、掘削の時にできた工具の跡が残っています。泉山磁石場において原料の掘削を行っていた頃は、露天掘りの穴が多くありました。陶石を採掘する場所や、採掘を行う業者も限られていました。また陶石は窯焼だけしか買い付けに来ることができませんでした。江戸時代中期頃の記録では、窯焼名代札(他に細工札・絵書札・水碓通札・底取札がある)の数は約180枚ありました。窯焼名代札の窯焼とは、登り窯で本焼きまでの一連の過程を担っていました。窯焼が水碓(水を利用して陶石を粉末にする臼)を所有し、細工人(器の成形)、絵書きなどを雇っていました。この窯焼名代札等は皿山代官所から発行されていました。

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窯焼名代札

今は泉山の原料をほとんど使っておらず、熊本の天草にある陶石を使っています。泉山の石の特徴は天草陶石と並べてみると分かるよう泉山のものは黄色い(鉄分が多い)のが特徴で、天草陶石は白色です。

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磁石場(全景)

現地は、柵の中には入ることができませんので、遠くからではありますが磁石場全体を望むかたちで見学をすることができます。

場所は、有田町歴史民俗資料館(東館)の直ぐ近くですので、資料館へも足を運ばれてはいかがでしょうか。車を停めておくスペースも十分に完備されています。

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磁石場内(近景) 採掘穴内部(特別な許可が必要です)

さて今年は、個人的にいろいろなことがあった一年であったと思います。有田町教育委員会の職員としてはまだ8か月ですが、これから先もっと多くのことを体験することで「有田町」を学んでいきたいと思います。皆様のご指導をお願いいたします。

それでは、皆様よいお年をお迎えください。また、新年もどうぞよろしくお願いいたします。
(伊)H28.12.22

 

 

問い合わせ

文化財課 歴史民俗資料館
〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号
電話:0955-43-2678 ファックス:0955-43-4185

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