有田の幼児教育(有田幼稚園)①

前回世界と日本の幼児教育のはじまりを紹介しましたが、今週からやっと本題の有田の幼児教育の紹介に入ります。
ただ、旧東有田町(有田町の「下(しも)」と呼ばれていた地区)と旧西有田町に関しては、あまり資料が残っていません。特に東有田町に関してはとても少ないです。しかし、旧有田町(上有田地区)に関しては、中々面白い記録が残っています。順番にご紹介していきたいと思います。

有田町で一番古い幼稚園(保育所)については、『肥前陶磁史考』に次のように記されています。
「・・・幼稚園の創始は、明治34、5年頃、小学校教員古賀令次郎(多久人)の母が、幼児を集めて独力撫育せしに始まり、それも彼が転任と共に中止となりしを、同40年4月12日より白川の鷲尾好一(町役場吏員)が再興し、長女若江其任に当たり、其頃小学校長住宅の裏家にありて、私立幼児保育所と称せられしが、其後久しく廃絶せしを、大正8年6月17日深川六助またこれを復興して、私立有田幼稚園と称し・・・」とあります。
また、『西松浦郡誌』にも「近来有田にも幼稚園の設立あり。はじめ有田小学校内に設けしも、旧役場跡に移転し保育に従事せり」とあります。
また、『有田町史』には明治38年に子守教育を兼ねて有田町白川にあった有田尋常小学校の一部を借りて幼児保育所を開き、その後同じ白川の役場跡に移転し施設等を整えて、大正8年6月17日に有田幼稚園として認可を受けた、と記されています。

さらに、『佐賀県大百科事典』の幼稚園の項目に、佐賀県下の幼稚園の設置状況が書かれています。それによると、明治34年(1901)に伊万里幼稚舎(大正9年、伊万里幼稚園となる)、明治38年(1905)に米人宣教師による佐賀幼稚園、明治39年(1906)佐賀婦人会付属幼稚園(大正9年、佐賀新道幼稚園となる)、明治42年(1909)、小城郡小城町に前述の米人宣教師による小城幼稚園、大正元年(1912)庚辰婦人会立唐津幼稚園、大正2年(1913)東松浦郡相知町に三菱唐津砿業所協会養護所、大正7年(1918)、唐津に西唐津幼稚園、大正8年(1919)に唐津石炭商同業会が大島幼稚園、西松浦郡有田町に有田幼稚園と、明治から大正にかけて、県内6箇所9園が開設されています。県内ではその後、昭和初期に少し数を増やしますが、戦争期に入り女学校等に付設化されたり、休園となったりします。戦後、昭和22年嬉野幼稚園の開設を端緒に、また次々に県内に作られていきます。

ここで、一枚の写真を紹介したいと思います。上段右端の女児が「明治四十三年三月幼○○」の垂れ幕を下げています。「幼稚園」というような文言が書かれていたのでしょうか。上で紹介した鷲尾好一や深川六助が関わった幼児保育所の写真と思われます。

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有田保育所(有田幼稚園)の園児と職員

 

これを見ると、有田では県内でもかなり早い段階で幼稚園(保育所)が開設されていることがわかります。おそらく認可幼稚園の設置よりも前に、幼児保育所は県内各地で作られていたのだと思われますが、それにしても写真まで残っていたのには驚かされます。

深川六助は有田ではとても有名人で、このブログにも、当館の館報、季刊皿山にも何度も何度も名前が出ていますが、現在の「陶器市」の提唱者であり、町議会議員、西松浦郡会議員、佐賀県議員でもあり、石場の改修工事などを行った人物でした。妻キヨは会津藩士望月辨次郎の長女で、会津の教会で洗礼を受けています。このキヨの兄、望月與三郎の妻クニは、神戸幼稚園の園長として、当時の幼児教育界の発展に寄与した人物でもあります。おそらく、そういった影響で有田に幼稚園が早い時期に出来たのではないでしょうか。また全国的にも、佐賀県内でも、初期の幼稚園は宣教師やクリスチャンなどが提唱して設立されている幼稚園が多いようで、そのあたりも関係があるのかと思われます。
有田町役場日誌によると、昭和28年11月28日に深川キヨのキリスト教会葬が保育園で執行されています。(永)H29.6.7

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深川六助 深川キヨ

 

参考:『有田町史 政治社会編II』、『西松浦郡誌』、『肥前陶磁史考』、『館報 季刊皿山No.97』、『新教育大辞典』、陶山神社にある「深川君之碑」文より

 

問い合わせ

文化財課 歴史民俗資料館
〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号
電話:0955-43-2678 ファックス:0955-43-4185

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