有田の陶磁史(70)

前回は大正6年(1918)に建立された「陶祖李参平之碑」に刻まれている撰文をご紹介いたしました。

この碑は、日本磁器発祥の説に関して、ムチャクチャ深い存在意義と多大なる波及効果を持っていました。何しろ、有田の総意として陶祖を“決定”して、それをさまざまな人々の目に触れるように山の頂に設置し、しかも、有田の窯業に密接な関わりのある陶山神社を、眼下に見下ろすような配置で建ててるわけですから。そもそもこの神社、祭神として李参平と並ぶのは、応神天皇や佐賀藩祖鍋島直茂ですから。それを見下ろすとは、半端な覚悟じゃありません。

もう一度書きます。この撰文は、当時の有田の総意です。個人の自説を述べた論文でも、当時の巷説をまとめた概説書でもありません。永久に残す目的で石に刻んだ、有田磁器の創始に関する当時の有田の公式見解なのです。

この顕彰碑については、昭和6年(1931)発行の『有田陶業史』には、写真解説として、「陶祖頌徳碑 陶祖李参平は神園内蓮華石の頂上に在り全長を賦下して風光明媚なれば来有の旅客は必ず登山して陶祖の遺蹟を訊ねざるはなし」とあります。今の登り道ならともかく、以前の山道はけっこうキツかったので、本当に旅客が必ず登山したかどうかは知りません。でも、この著書は西松浦郡陶磁器同業組合事務局が発行したものなので、少なくとも有田側としては、この碑に刻まれた歴史を公式見解として世間に伝えたかったということは間違いありません。

この碑文ですが、「陶祖李参平之碑」であることからも一目瞭然ですが、磁器創始者としての李参平の完全勝利を意味します。以前お話ししたことがありますが、泉山発見に関わる文書には、ほかにも家永正右衛門や高原五郎七などもありますが、これまで見てきたように、李参平に関わる内容がぶっちぎりで先行したこともあり、なかなか日の目を見ることがありませんでした。そして、この碑文に、李参平が泉山の発見者と刻まれ、「初メテ純白ナル磁器ヲ製出ス」として磁器の創始者にも位置付けられたことによりジ・エンド。陶祖の冠まで冠せられましたので、もう李参平以外が顔を出すことはほぼ不可能な状況になってしまいました。

余談ですが、本当は李参平って、磁器創始の功績で陶祖になったわけじゃないですけどね。まあ、その話しは、また記す機会があると思いますので、ここでは触れませんが。

それから、これが陶祖の顕彰碑なので当然といえば当然ですが、例の祥瑞のことなんてこれっぽっちも触れられていません。逆に言えば、有田における磁器の創始に、祥瑞なんて関わってないという意思表示でもあります。しかも、「此レ実ニ本邦ニ於ケル白磁製造ノ嚆矢ナリ」と記すことで分かるように、李参平が、日本においてはじめて磁器を創始したということにお墨付きが与えられたのです。(村)H31.1.25

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