かつて、有田に「七人の侍」といわれた先達がいた。
昭和45年(1970年)、当時国交もなかった東ドイツを7人の有田町の窯業界の方々が訪れ、東西の陶芸文化を比較し、交流の軌跡を調べ、これを機に、1979年2月9日、当時の有田町の青木類次町長と国立マイセン磁器製作所カール・ペーターマン 総裁との間で姉妹都市の調印が行なわれました。
その頃、西側諸国は東ドイツとの国交はなく、交流は1973年東西ドイツ基本条約の制定まで待たなければならず、日本は1973年5月に外交が開始されました。有田町は1990年に東西ドイツが統一されたのち、1991年マイセン市と姉妹都市の再調印を結んでいます。
今回、有田町から、松尾町長をはじめ7人が10月16日~10月20日にかけて中国、景徳鎮市を訪問しました。
参加者のうち3人は、七人の侍の後継者であり、時代の流れと続く人の歴史が感じられます。
参加者
(50音順)
株式会社源右衛門窯社長 金子 昌司 様
株式会社賞美堂本店社長 蒲地 桃子 様
株式会社まるぶん社長 篠原 文也 様
株式会社香蘭社社長 深川 祐次 様
有限会社藤巻製陶会長 藤本 覺司 様
有田町長 松尾 佳昭 、 随行 有田町職員 1名
中華人民共和国
中国は1978年、鄧小平氏により改革開放が指導され、経済特区政策を開始。日本との間には、政冷経熱などの言葉が生まれるなど経済的な取引が過熱していきました。
所得も伸び、世界の工場から、大きな市場へと変化、2010年、中国の国民総生産(GDP)は日本を抜き世界2位となり現在も成長しています。
しかし、有田町民にとって、中国は、未だその全容がわからない大国です。中国からの観光客が日本を訪れる人数は増加していますが、有田町から中国、まして景徳鎮へ行くことは、歴史的な繋がりを感じ友好都市提携を経ていても、なかなかその機会にめぐり合いません。
●景徳鎮の現状
現在の景徳鎮は人口160万人、うち市区人口100万人を超える大都市です。人口の半分は窯業関係に携わっており、街並みの開発が進んでいる。
電気バイクが歩道を走り、各家庭で1台は車を持つことがスタンダードとなった。服装は人民服などではなく、ヨーロッパの文化を取り入れた、鮮やかな色彩に彩られ、街並みには、広大な土地に建設ラッシュが続く傍ら、その合間に古い家屋が見られるなど、これまでとこれからが混在しており、変化していく活気が感じられる。
国や省、鎮の方針により強力に推し進められる改革が、長い伝統を内包しながら新たな景観を形作っていく。
景徳鎮
世界的に名を馳せた陶磁器の里。有田町とは1996年 友好都市提携を行っている。古くは昌南鎮と言われていたが、この地で生産されていた陶磁器を愛用した皇帝により1004年~1007年「景徳」の時代に、時代の名前を地名として与えられ、景徳鎮と改称される。
有田町を遥かに超える焼き物の歴史を抱え、各時代の歴史を顕彰する資料が、巨大な中国陶瓷博物館に所蔵されている。
第15回 中国景徳鎮国際陶瓷博覧会
景徳鎮が取り組む博覧会。イタリア、フランス、ロシア、北朝鮮、タイ、シンガポールそして日本など世界各国の陶磁器産地から来賓や出展作品を集め、交流が図られている。
景徳鎮陶瓷大学の生徒による作品やろくろなど新たに開発された製造機械も展示され、多くの来場者で賑わう。最終日には有田陶器市のように割引を行うなど、展示会と販売会を合わせたイベント。
有田町からは、香蘭社が毎年ブースを確保し、中国市場への進出の足掛かりとして事業展開を行っている。出展を継続し、中国国内での知名度を上げる取組が続けられている。
景徳鎮陶瓷大学
2万人の学生が所属する中国唯一の窯業専門大学。美術、歴史、デザイン、材料、商業、工学など多様な分野の研究が行われている。建築の分野から波及した、CADソフトを利用する3Dプリンタの技術など、日本でも取り組み始めた内容が、多くの学生にすでに授業として取り入れられている。
アーティスト イン レジデンス事業への取組みも行われていて、欧州から南米まで、さまざまな国からデザイナーやクリエイターなどが招聘されており、先進的かつ多様な作品がいくつも生まれている。
参加者には材料や機材の利用は無償で提供され、3か月の期間の中で制作された作品の半数を寄附することが条件となっている。日本からのアーティストも招聘されているが留学生はいないため、日本人留学生の申し込みも期待されている。
違う国のアーティスト同士の技術の融合を目的としていて、学生は各国デザイナーの技術を直接見て学び、景徳鎮の陶磁器産業を支える新たな人材として活躍していく。
陶渓川
かつての国営企業跡地をリノベーションし、新たに開かれたアウトレットスペース。2017年には、まだ準備段階だったが、2018年には年間500回のイベントを開催するホットスポットになり、2019年には3倍の広さに拡張される。
国、江西省、景徳鎮の事業として多くの費用が投入され、昼夜問わず、観光客、地元の人々が集まり食事や陶磁器商品が楽しめる。レストランや190部屋が用意された宿泊ホテル、国営企業時代の生産設備などを展示した博物館などテーマパークとしての設備が徐々に増築されている。
大学卒業予定者には無料で貸し出される390のブースやテントに8,000人の応募があり、3か月を1クールとした期間に売上を伸ばすことで、より大きなテナントへの移動が可能となる。陶瓷大学の卒業生などの受入れ場所として大きな役割を果たしている。
この施設に出店し、イベントに参加することは、窯業関係者にとってのステータスとして定着しており、出店者には、販路開拓や商売上のルールについてセミナーが開催されるなど創業支援としての一面もある。生活用品の生産産業から、文化交流の場所づくりとして国などの方針を背景に大規模な変化が推し進められている。
有田と景徳鎮には、時代やその辿ってきた歴史は違っても、窯業という確かな遺伝子の繋がりが感じられる。それぞれの立場で、かつての7人のように、歴史の転換点となるような交流を今後実現できるのか、活躍が期待されます。