令和元年度新寄贈品の紹介 2 ~内国勧業博覧会褒状

今日も引き続き令和元年度新寄贈品を紹介していきたいと思います。今回からタイトルに、紹介する資料の名称を出してみました。

さて、今年度ご寄贈いただいたものは「第4回内国勧業博覧会褒状」と「第5回内国勧業博覧会褒状」です。有田町黒牟田地区の窯焼き福島幸次郎に贈られたものです。

 

0023-第4回内国勧業博覧会 0022-第5回内国勧業博覧会
第4回内国勧業博覧会褒状 第5回内国勧業博覧会褒状

 

内国勧業博覧会については前回ざっくりと紹介しましたが、再度詳しくご紹介します。第1回の内国勧業博覧会は明治10年に8月10日から東京上野公園で開催され、有田からは香蘭社と白川学校が出品しています。この博覧会は日本の博覧会の礎になったといっても過言ではなく、同年1月に勃発した西南戦争により開催が危ぶまれましたが、明治9年に実施されたアメリカ・フィラデルフィア万国博覧会に倣って実施されたものです。

第2回、第3回は明治14年と23年に東京上野公園で開催し、明治28年、京都で実施された第4回の内国勧業博覧会で審査官より「佐賀県は陶磁器の本場というべきところなのに進歩がない」と酷評されました。この評価が有田工業高等学校の前身である有田徒弟学校建設の動機となっていきます。明治36年に大阪で実施された第5回の内国勧業博覧会は多くの出品者と褒状を受賞しています。

 

実は、第4回の内国勧業博覧会の褒状は、当館もすでに収蔵していました。おなじみの日本特殊陶業初代社長で有田町長も務めた江副孫右衛門の父江副八蔵に贈られたもので、こちらも平成29年度企画展「知っているようで知らない明治」にも出品しました。今回の寄贈品で2つ目になります。5回目の褒状は今回いただいたものが初の収蔵になります。

有田小学校が第1回、2回、3回目の内国勧業博覧会の褒状を所蔵していますので、これで町の施設に第1~5回目の褒状すべてがそろったことになります。3回目、4回目、5回目は出品者も第1回、第2回に比べて格段に多いので、有田町内の古い窯焼きさんはお持ちかもしれません。

 

一度全部見比べてみたいと思います。とりあえず今回ご寄贈頂いた2点を見比べると明治28年8月に授与された第4回の褒状では「西松浦郡新村」になっていて明治36年に授与された第5回の褒状では「西松浦郡有田町」になっており、確かに明治28年11月に新村から有田村に名称変更しているのですが、当時の「有田町」は今の上有田地区のみを指していて、黒牟田地区は「有田村」、つまり「有田町」と「有田村」は当時別の市町村だったんですが、どうやら混同されているようですね。

 

さて、次回は万博関連の資料をご紹介したいと思います。(永)R1.6.26

問い合わせ

文化財課 歴史民俗資料館
〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号
電話:0955-43-2678 ファックス:0955-43-4185

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