有田の陶磁史(111)

前回は、「皿山金ヶ江三兵衛高麗ゟ罷越候書立」について、『有田町史 陶業編Ⅰ』から引用して、少し解説を加えたところでした。今回はその続きで、文書に登場する年号について、考えてみます。ちなみに、現在では金ヶ江三兵衛の亡くなった年は分かっていますが、ひとまず、それは考えないことにします。

まず、この文書は、「巳四月廿日」付けで提出されています。この年号については、干支は60年周期ですが、十干の部分が記されていませんので、12年ごとに可能性があることになります。三兵衛の時代に関係ありそうな江戸前期で探すと、

慶長10年(1605:乙巳)、元和3年(1617:丁巳)、寛永6年(1629:己巳)、寛永18年(1641:辛巳)、承応2年(1653:癸巳)、寛文5年(1665:乙巳)、延宝5年(1677:丁巳)、元禄2年(1689:己巳)

あたりが候補となります。文禄・慶長の役の際に渡来してますので、さすがに元禄2年では長生きし過ぎでしょうが…。

ここで、ヒントとなるのが、文書中にある「今年三十八年之間、丙辰之年ゟ有田皿山之様ニ罷移申候。」の記述です。前回、38年前の丙辰の年に有田に移住したと説明しました。こちらの方は、60年周期ですので、それほど候補がありません。とりあえず、記してみると、元和2年(1616)、延宝4年(1676)くらいでしょうか。これより前だと、まだ日本に来てませんし、後ろだとさらにその38年後に書かれた文書ということですから、生きてれば化け物です。まあ、延宝4年でも1714年ということですから、さすがにムリでしょうが。そうすると、候補としては元和2年しか残らないことになります。よって、この元和2年、つまり1616年から38年後ってことになりますので、1654年になりますが、その年は承応3年甲午ですから該当しません。でも、ちょっと待ってください。38年前も、文書の日付である4月20日にピッタリ有田に移住したわけでもないでしょうから、38年に多少足りなくても、多少余っても、38年くらいなら、誤差の範囲でしょうね。すると、前年の承応2年“癸巳”年です。

この解釈は、実は、ずっと前に紹介した久米邦武『有田皿山創業調子』に見えるので、すでに明治の前期には、知られていたことが分かります。ただ、何度も記していると思いますが、これはあくまでも、三兵衛が有田に移住した年であり、テッパン説のように、磁器が創始されたという年ではありません。

ズバリ元和2年と記すわけではないものの、元和2年という年号を推測させる文献は、ほかにはありません。よって、どうやら何かこの文献の解釈か何かで、磁器創始の年代が元和2年にされた可能性は高そうです。(村)R1.11.22

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