有田の陶磁史(143)

いよいよ天狗谷窯跡発掘調査シリーズも、今回で終わりです。簡単に触れておくつもりが、1月からはじめて8月まで続きましたので、もはや半年超。磁器の創始シリーズがはじまって、陶磁史としての歴史的時間が1ミリも動かなくなってからは、まるまる2年です。珍しい陶磁史ですね。

さて、前回は、平成6(1994)年9月2日の毎日新聞に掲載された『戦後五十年』というシリーズの、倉田氏のインタビューも交えた「天狗谷古窯発掘」の記事で終わってました。倉田氏が語られた

 

「A窯は大き過ぎて磁器が初めて焼かれた窯ではないと思いましたね。大量生産さえ思わせる窯でした。しかし、年代決定に熱残留磁気測定という科学的方法を用いたので、割り出した年代を信じたわけです。しかも、陶祖・李参平の窯跡と期待する有田町の思惑などもありましてね。調査団もその雰囲気に飲まれた感じです。これが間違いでした。」

 

というインタビューの部分がすべてを物語っているように思えます。科学と地元のプレッシャーですね。かくして、この調査によって、“李参平が1616年に天狗谷窯で磁器を創始した”という説は、科学的に証明された事実として、長らく日本の陶磁史上で語り続けられることになったのです。

さすがに今日では、天狗谷窯で磁器が創始されたという方はほとんどいなくなりましたが、「李参平が、1616年に、泉山で陶石を発見して、日本初の磁器を創始した」という部分は、旅行雑誌やパンフレット類などはともかく、学術論文などでもまだ生き残っていますね。特に、理系の方の分析系の論文にはよく見かけます。まあ、まだ辞典なんかにもそう書いてあるのでしかたないかもしれないですけどね。

 

ただ、考えてみたら分かりますが、この通説は、いわば一人の陶工の偉大な功績という内容です。でも、本当は、李参平の功績も、泉山の発見も、天狗谷窯跡の存在意義も、本質は別なところにあります。それは、すでにどこかで書いているかもしれませんが、有田が今日まで続く磁器の産地となりえた、産業化の基盤を築いたことです。よって、磁器創始窯ではなくなったとしても、天狗谷窯の価値が低下するわけではないのです。この問題については、長くなりますので、別の機会にお話ししてみたいと思います。

 

最後に、繰り返しますが、この操業年代の混乱がどうであれ、この天狗谷窯跡の発掘調査が、それまでの感覚的な鑑定レベルの研究から、考古学的手法に裏打ちされた学術レベルの研究へと舵を切る端緒となった重要な発掘であったことは間違いありません。逆に、半世紀以上も前に、これほどハイレベルな調査ができていることに驚きすら感じます。基本の大切さですね。

それは、発掘調査報告書にも言えます。これまで、あちこちで引用してきましが、その時々の調査関係者の感じたことや、その時々の選択肢、それによって取った行動などが逐一丁寧に記されており、調査の状況を追体験できるのです。読めば読むほど抜群のおもしろさは、まさに秀逸ものです。

もちろん、すでに50年近く前に刊行された本なので、学術的な内容の古さを感じる部分は多々あります。しかし、それを承知の上で、本来発掘調査報告書はこうあるべき、というお手本のような本であることは間違いありません。ぜひ興味のある方はご一読を。

 

ということで、全部終わり!!長かった…。(村)R2.8.14

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