有田の陶磁史(145)

さて…、陶磁史に戻らないといけないわけですが、いったいどこから再開でしたっけ?きっと磁器の創始者の話を延々としてたくらいなので、1610年代中頃に磁器というものが旧有田町の小溝上窯跡など西部地区の窯場ではじまり、その頃に金ヶ江三兵衛をはじめ、高原五郎七や家永正右ヱ門といった人たちが集まってきたってあたりではないでしょうか?以前の記事をあらためて読み直すのも面倒ですので重複するかもしれませんが、おさらいの意味でも、このあたりからはじめることにさせてください。ただ、このあたりからはじめるには、窯業のはじまりの頃も関連しますので、結局、有田の窯業最初からみたいなもんですが…。なるべく、説明が重ならないようにはします。

 

さて、陶器生産がはじまった頃の有田はどんな窯業地だったかと言えば、肥前の窯業地の中でも、縁辺に位置する小さな下級品生産のごく平凡なというか、いつ潰れるかも分からないようなさえない窯業地でした。今では想像も付きにくいですが、当時の人でさえも、とてもじゃないけど後に肥前の窯業の中心地になるとは思ってなかったでしょうね。

おそらく、最初は小溝上窯跡と天神森窯跡が開窯、それから小森窯跡も同じ頃かもしれません。そのわずかに後に、山辺田窯跡と原明窯跡、それから若干遅れて小物成窯跡が開窯したって感じでしょうか。つまり、磁器創始より以前には、窯場は最大に拡大した時点でも、6か所に過ぎないということです。ちなみに、これらの窯跡については、以前個別に説明したようなかすかな記憶がありますので、ここでは特に触れないことにします。

 

創始窯については、どう説明したんでしたっけ?『三河内焼窯元今村氏文書』〔渡辺庫輔著 親和銀行長崎支店 1958〕(以下『今村氏文書』と表記)については、触れたんでしたか?まあ、時々一部が引用されることのある文献ですが、この内容は生産史がある程度分かってないと読み解けない部分がありますので、ちょっとサービスして、ここでは通常よりもちょっと詳しめにお話ししとくことにしましょう。

 

この書籍の中には、文久2(1862)年の『折尾瀬村三河内今村甚三郎蔵書写』という古文書が所収されています。これは「今村氏先祖代々書伝同し文も有りしむかしのまゝに取集写し置」とあるように、今村氏伝来の文書を書き写したものです。その中の「今村氏代々申伝記之」には、元禄6(1693)年に肥前の古い窯場について調べた記録があり、それを天明8(1788)に記したものがあります。

ちとややこしいですね。要するに、古い窯場を調べたのが元禄6年で、それを記録した天明8年の文書が残っていたものを、あらためて、文久2年に書き写したものが現存しており、それを収めた書籍が昭和33年に刊行されたってことです。

って、今回はさわりの部分だけご紹介して、内容は長くなるので次回以降に譲りたいと思います。(村)R2.8.28

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