有田の陶磁史(170)

前回は、枢府白磁に倣った李朝白磁の場合は、たとえ磁器質の白磁が作れたとしても、染付を入れることは難しいでしょ、って話でした。本日も、李朝出身の陶工に、染付磁器を作るのは難しいって話の続きです。

前にお話しましたが、李朝の窯場の中で、染付製品を生産していたのは、広州にある官窯くらいのもんです。ということは、日本に渡来した陶工達は、染付の顔料が呉須であることくらいは知識としては知っていたかもしれませんが、染付磁器は実際には、作ったことがなかったはずです。

 

朝鮮半島でも、日本と同様に、呉須は産出しません(正確には、瀬戸などにはごくわずかにあります)ので、わずかながら生産された染付磁器用の顔料は中国からの輸入に頼る高価なものでした。なので、王宮以外では染付磁器の使用が禁止されたこともありました。

呉須とは、もともと中国の三国志でおなじみの呉の国(南東部)の付近で産出したことから、この名があります。“山呉須”とも呼ばれるように、コバルトを含む天然鉱物で、黒っぽい小石大のもろい粒状を呈しています。とりあえず、小石ってお上品なたとえにしましたが、有田の方言では、下等品のことを“兎糞(うさぎくそ)”と言い、確かに、この方が雰囲気的には似てますね。ほら、イメージできたでしょ。

化学合成された純粋なコバルトはド派手な発色をしますが、天然物は適度に不純物が入ってますので、かえって頃合いのいい落ち着いた色になります。例えば、明治の前期には、化学合成のコバルトが使いはじめられましたが、あまりのド派手さに、段々兎糞を混ぜて落ち着いた色合いになるようにしているくらいです。

まあ、そんなことはどうでもいいですが、つまり、素朴な疑問ですが、「呉須はどうやって手に入れたの?」はたまた、呉須が入手できたとしても、「それを絵の具に加工するための知識や技術はどうやって獲得したの?」ってことになります。

前にも触れたかと思いますが、以前のストーリーでは、「朝鮮人陶工は、祖国で焼いていたような磁器が作りたかったが、なかなか原料の陶石に恵まれず、ようやく有田で陶石を発見して、日本初の磁器を完成した。」ということになってました。確かにこれなら、仮に祖国で、磁器質の磁器を作っていた陶工なら、自前の技術だけで、磁器の完成までたどり着けるかもしれません。まあ、とりあえず硬い陶石を粘土にする技術があったかという問題は置いときますが…。でも、現実的には、日本では染付製品を作ったわけですから、自前の技術だけでは完結できないわけです。

もちろん、当時の日本国内にも呉須を絵の具としてやきものに使う技術はありません。それどころか、やきものに筆で絵を描く技術すらなかったわけですから。だから、呉須そのものや、それを絵の具にする技術をどうにかして外部から入手する必要があるのです。

まだ、祖国の技術では足りないものがあるのですが、それについてはまた次回。(村)

 

 

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