39 | 掛の谷窯跡 町史跡 |
17世紀中頃から後半の2つの窯体(1・2号窯跡)と、明治期の1つの窯体(3号窯跡)によって構成される応法山の窯場の一つ。3号窯跡は良好に遺存しており、一部温座の巣(通焔孔)まで残る奥壁や、色見孔の残る側壁などが、地表面に露出する。 (指定:S45.5.20)
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応法猪子谷単室窯跡 |
明治〜大正時代ごろに築かれた、レンガ積みの倒焔式単室陶磁器焼成窯。窯本体と高さ12mほどの煙突で構成される。窯本体には、東西各3か所の焚口と、北側に2か所の出入口が設けられている。当初は薪を燃料としていたが、途中から石炭に代わったという。 (指定:H10.10.12)
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山辺田窯跡 |
有田で最も早く成立した窯場の一つで、1600〜1650年代ごろの操業。黒牟田山の窯場。1号〜9号窯跡のうち、5号窯跡を除く8基の窯体が発見されている。1640〜1650年代には、いわゆる古九谷様式の色絵大皿の素地を量産した、中核的な窯場として知られている。 2983〜2991,3294他 (指定:S55.3.24)
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迎原窯跡 |
全長26.4m、12の焼成室をもつ登り窯。陶器と磁器を生産していたが、重ね焼きする際に、目積みとして砂を用いている。陶器は小杯、碗、皿などがあるが、絵唐津はない。磁器は、染付の碗、皿のみが出土している。1610〜1630年代の操業と推定される。 (指定:S47.9.5)
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43 | 下本の逃げ餅 町重要無形 民俗文化財 |
毎年11月22日の夜に下本公民館で行われる。1回目、若者が棒杵で餅をつきながら、臼の外に放り出す。餅は泥だらけになるが、各家庭に配られ、神棚に供えられる。2回目、臼に蒸した米が入れられたとたんに、若者は米を手に取って逃げる。それを食べると一年間無病息災というので、参加した全員に分けられる。珍しい餅つき行事である。 (指定:H20.4.23)
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