有田の陶磁史(191)

前回は、『家永家文書』『金ヶ江家文書』の比較から、自分がやきものを一手にしたいので、日本人を追放してねってお願いしたのは、実は、金ヶ江三兵衛だったという話をしてました。本日もその続きですが、重要ですので、もう一度『家永家文書』を引用しておきます。

 

 (前略)(正右衛門が)白川山天狗谷ニ壱登塗立釜焼候半、美作守様高麗御帰陣之砌、御連越之唐人御伽仕候を、御暇被下候末、南京上手ニ焼物御仕立候ニ付而、右高麗人ゟ日本人相払被下候ハゝ、一手ニ而釜焼仕度旨御願申上候ニ付、日本人釜焼職不相叶、依之、正ヱ門ヘハ右由緒を以、美作守様ゟ御免状其節之御代官山本甚右ヱ門殿迄被差出候由ニ而、右御免状写正ヱ門ヘハ被相渡置候由ニ而、代々右写書相譲置申候(後略)

 

 前半部分は前回解説しましたが、では、後半部分はどう展開するのでしょうか?

 金ヶ江三兵衛が日本人を追放して欲しいって願い出たもんだから、家永正右衛門さんは困ってしまって…、かどうか知りませんが、要するに、何しろ鍋島直茂に末々まで精を出すように言われた家柄ですので、その由緒もって多久美作守に継続の許可を受け、代官の山本甚右ヱ門に提出して許してもらったというような内容です。

 ちなみに、前回この文書の前半にある美作守は多久安順のことなので長門守の間違いって言いましたが、後半に出てくる美作守は安順を継いだ多久家2代目当主の茂辰のことですので、美作守で合ってます。

 ところで、ここでちょっと懐かしい名前が出てきましたね。以前、覚えといてねってお願いした記憶がありますが、例の山本神右衛門重澄です。文書では「其節之御代官山本甚右ヱ門殿」ってなってますが、もちろんこの頃はまだ「皿屋(皿山)代官」の制度はありませんので、よく時代劇に出てくるようなフツーの代官です。時代劇では、代官と言えばだいたい「おぬしも悪よの~。」なんて感じであまりいいイメージはありませんが、この山本さんは藩主や上層部からの信頼も厚いなかなかのくせ者です。

 この方、親も神右衛門で子どもの一人も神右衛門で、その子孫にも神右衛門がいます。なので、神右衛門何とかと記さないと誰のことだか分かりません。ただし、陶磁史関係で出てくるのは、ほぼ重澄のことです。ちなみに、重澄の親の神右衛門は清明と言い、名字も山本ではなく中野です。つまり、重澄は中野家から養子に入って山本家を継いでおり、子の神右衛門は常朝と言い、そう、あの『葉隠』の常朝です。

 この重澄は、有田の窯業にとってごっつ重要な役割を担ってますが、人となりや藩の中での評価や人間関係などを少し理解しておくと、窯業関係の事績もなるほどと思えるところが増します。ですから、次回から、少しこの神右衛門重澄について記しておこうかと思います。(村)

 

 

 

 

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