第112回まで 「九州山口陶磁展」の歴史
有田国際陶磁展の歩み
「有田国際陶磁展」のはじまりは、日清戦争後の不況対策として、当時の香蘭社社長九代深川栄左ヱ門や有田磁器合資会社社長田代呈一らの呼びかけで明治29年、有田町の桂雲寺で行なわれた「陶磁器品評会」に遡ります。
当時、日本は日清戦争後の不況に見舞われていましたが、有田焼の名前に慢心し品質改良に取り組まない陶業者を憂い、技術の競争と知識の増進のため「品評会」を開くことを呼びかけたのです。この第1回の陶磁器品評会は、明治29年3月1日から5日まで開催され、出品人数141人、出品点数784点でした。
その後、年一回の行事として開催されていましたが、突然の日露戦争(明治37年)の勃発で開催が不可能となりやむなく休止しました。窯業関係者や町民の強い意思により、翌年には再開し、明治44年には会場を桂雲寺から有田物産陳列館に移しました。
▲有田物産陳列館の外観 ▲品評会の賞状授与式の様子
しかし、またもや戦争が勃発し、2度目の休止を余儀なくされました。これにより6年間(昭和17〜22年)休止しますが、昭和23年に再開し、42年には、名称を「佐賀県陶磁展」、44年には「九州山口陶磁展」と改名し、会場も有田商工会議所に変更しました。
100年を越える陶磁展の歴史の中では、重要無形文化財保持者の井上萬二氏、(故)中島宏氏、福島善三氏など著名な方々も若き日に入賞し、若手の登竜門として多くの陶芸家が作品を出展してきました。