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筑前・陶器商人の活躍

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先月24日(日曜日)に福岡県糸島市より団体での来館者がありました。以前も同市の他地区からお越しいただいたのですが、今回は池田地区からの来館でした。

この糸島と有田は古くから交流がありました。江戸時代に有田焼を商った筑前芦屋の陶器商人のことは皆様よくご存知だと思いますが、芦屋地方の商人を「上浦」商人と呼んだのに対し、糸島地方の船越・久家・新町・岐志などの陶器商人を「下浦」商人と呼んでいたことが『伊万里市史 陶磁器編 古伊万里』に記載されています。確かに文化2年(1805)7月から同4年(1807)9月まで有田皿山代官を勤めた成富作兵衛が残した日記にも、文化3年(1806)に筑前・岐志浦の船頭和三郎、茂平、喜平らが船数7艘で伊万里津を訪れたとあります。このほか、同日記には文化4年までに新町浦、久家浦、船越浦などの糸島地方から18回の来航が記録されています。その中には芦屋浦や新町浦などの旅人(船頭その他)29人が、(文化3年)寅7月29日より百日の滞在願いを出しています。この間、伊万里津の問屋と焼き物取引などを行ったと思いますが、約3か月間という長きにわたる滞在中、伊万里商人の家族はそのおもてなしに追われたのではないかと思います。

有田焼の流通に詳しい前山博先生は、「下浦」地区を踏査されたそうですが、その痕跡はあまり残っていないということでした。ただ、現在、伊万里神社には文化11年(1814)に当時の戸度島神社に献納された一対の常夜灯が建っています。そこには船越浦・久賀浦船頭中と彫ってあり、確かに「下浦」と伊万里津を行き交った商人がいたことを物語っています。

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伊万里神社の常夜灯

今回来館された皆様にも、それぞれの先祖の交流をお伝えしたところですが、次回、今月のれきみん学習会ではこの江戸期の陶器商人についてお話ししようと思い、準備を進めているところです。(尾)H29.10.10

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