昨日は年に一度、町を挙げてのお祭り・おくんちでしたが、生憎の雨でした。でも、時折、チロリン節の音色が聞こえてきましたので、きっと町中では踊りが見れたのではないでしょうか?ただ、この日に向けて披露する踊りの練習に取り組んでこられた4区の皆様は大変だったことと拝察いたしております。
ところで、去年の10月にもきっと書いたような気がしますが…でも、この時期はお祭りを外すことは難しいかなと思い、懲りずに今年も書きます。そもそもこの「おくんち」とは何ぞや?ということですが、広辞苑には「9月9日のこと。また、その日に行う祭。おくんち。」とあります。とくに長崎のおくんちは諏訪神社のお祭りとして全国的にも有名で観光客も多いようです。この有田のおくんちもそもそもは江戸時代から八幡宮(現在の陶山神社)の例祭として行われてきました。『皿山代官旧記覚書』の宝暦2年(1752)の記事では、8月3日の触達として「来る十五日当所祭礼ニ付而、濁リ酒を造リ候者も有之由相風聞、以之外ニ付、為停止、代官より例年之通触状差出候事」とあります。今から265年前のことです。また、同日記には文化6年(1809)に宗廟八幡宮祭礼に際し、恒例の浮立のほかに高麗踊りの再開願いが皿山の氏子たちから代官宛てに提出されています。日峯様(鍋島直茂)が朝鮮帰陣の折に連れてきた「当所陶器焼初候元祖」への報恩として、以前は彼の国の古雅なる謡舞・高麗踊りが続いていたけれど、文化6年当時はすでにこの高麗踊りは途絶えており、近年の不況はこの祭りを疎かにしたためであり、今ならばまだ古老が高麗踊りを覚えているから以前のように許可してほしいと皿山の氏子や庄屋、別当たちが揃って代官所へ願いを出しています。しかしながら、この願いは却下されたようで、現在はこの高麗踊りを見ることはできません。ただ、昨年の有田焼創業400年を契機に、恐らくこのような踊りであったろうということで、当番町であった3区の皆様が韓国から指導者を招聘し、昨年のおくんちで韓国の踊りが披露されました。今年も韓国から10人ほどが来日され、22日の皿山祭りで有田の人と一緒に踊られるとのことです。(尾)H29.10.17
昨年のおくんちで披露された「高麗踊り」
(円舞 有田焼400年記念「有田ぐんち」記録より)