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有田の陶磁史(15)

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前回、やっとこの陶磁史シリーズも有田までたどり着きました。それでは有田の…、と言いたいところですが、その前に、取り上げるチャンスを逸してしまいそうなので、忘れる前に触れさせてください。登り窯の種類や構造についてです。というのは、すでに有田で窯業がはじまった頃には、窯尻の構造以外、登り窯もおおむね肥前の統一形式が固まってしまっているので、あえてその違いについて触れる必然性がないのです。それに窯体についての基礎知識がないと、今後、意味不明な内容も多くなってくると思いますので。

以前、肥前の窯業が与えた日本の近世窯業への影響について説明した際に、登り窯についても少し触れました。その中で、登り窯は日本では肥前を起源とし、分室化した焼成室をいくつも連ねることを特徴とすることを記しました。ただ、本当は、岸岳にある皿屋上窯跡(唐津市)のように、分室化しない単室の登り窯もないわけではありません。構造的には、窖窯というやつです。と、記すと、すぐに単室から連室の登り窯への変遷を連想する方もいそうですが。

肥前の窯業は、朝鮮半島出身の陶工によってはじまったという話しをしました。ということは、登り窯もその技術のルールで造られているわけですが、朝鮮半島では碗・皿類の窯と壺・甕類の窯では構造が異なっています。碗・皿類の窯は分室構造になっており、肥前では、当初からこの窯で碗・皿類に加えて、壺・甕類も併焼されています。しかし、朝鮮半島では壺・甕類の窯は、単室構造なのです。つまり、肥前的な登り窯の統一形式の完成に先立って、単室の窯も試みられたのだと思いますが、後にも先にも皿屋上窯跡の1例に過ぎません。造ってはみたものの、日本の生産体制の中では利点が見いだせなかったため、単発の窯構造として終わったのではないでしょうか。よって、肥前の中で、単室の窯から連室の窯に変化したわけではないのです。

一般的な登り窯は、大別すると二つに分けられます。一つは「階段状割竹式登り窯」、もう一つが「階段状連房式登り窯」です。「階段状」とは、上下の焼成室間の床面に段差を付け、階段のように順々に上がっていく構造のことです。「割竹式」とは割った竹、つまり円筒を真っ二つに割って伏せたように上面も側面もまっすぐな形の窯で、ちょうど竹の節に当たる部分が、各焼成室間の奥壁に当たります。また、「連房式」とは、房(=部屋、小部屋)を連ねるという意味で、割竹式と対照的に上面や側面が曲面になる団子状の焼成室を連ねた構造の窯です。もちろん串は刺さっていませんが、あのみたらし団子みたいな感じだと思えば、当たらずしも遠からずというところでしょうか。
当初は、朝鮮半島でも一般的な割竹式の窯が使われましたが、その後、連房式の窯が出現し、急速に連房式による窯の統一化が図られています。(村)H29.10.27

図1_1 

図1 皿屋上窯跡(唐津市)

図2_1

図2 割竹式登り窯(左)と連房式登り窯(右)

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