前回は、常に新しいものに挑戦してないと持ちこたえられない、最高級品生産の南川原山の悲哀について説明していました。ついでに、逆に競合相手のいないゆえにマンネリ化する大川内山についても。それで、本日は、南川原山の悲哀、第二弾ってとこでしょうか。
前回お話ししたように、南川原山では“柿右衛門様式”が主力製品であった頃から、すでに次をにらんで“古伊万里様式”の開発を進めていました。“柿右衛門様式”は1670年代に完成するわけですが、その70年代には早くも“古伊万里様式”にも取り組みはじめていたのです。アンシンメトリーな構図に象徴される“柿右衛門様式”に対し、その真逆のシンメトリーな構図の“古伊万里様式”を次期の主力製品として育てようともくろんだわけですから、大変なリスクを取っていたのです。それぐらい_しないと、最高級品としての差別化を図ることが難しかったんでしょうね。
たしかに、“古伊万里様式”は従来の製品からすればものすごく斬新ですので、これを最高級品の様式として位置付けることは、たしかに理にかなっているとは思います。南川原山クウォリティーの“古伊万里様式”は格別ですので、渾身の力作に違いないですし。ところが、そこには大きな落とし穴があったんです。
というのは、“柿右衛門様式”というのは素地や絵の具の極度の洗練が命みたいな様式ですので、原則的に相対的にコスト抑えながらの模倣ができません。絵は少なめなので、質を落とせば単なる手抜き製品になってしまい、とても“柿右衛門様式”と呼べるものではなくなりますので。文様部分と余白の絶妙なバランスも、なかなかマネできるものではありませんし。ですから、せいぜい南川原山に続くランクの製品を生産した内山で、類するものが一部生産されただけに止まるのです。
ところが、残念ながら“古伊万里様式”って、簡単に模倣できちゃうんです。だって、“柿右衛門様式”と真逆の、たくさん絵を描くほどいいって様式ですから。つまり、絵をたくさん描こうがちょっと描こうが、品質が高かろうが低かろうが、“古伊万里様式”は“古伊万里様式”なわけです。そのため、せっかく南川原山で満を持して高級品として開発したのに、ほどなく内山なんかでマネされるようになったのです。残念でした。
その上、運の悪い時には、悪いことが重なるもんです。どえらいことが起こったのです。次回は、それについてお話ししてみたいと思います。(村)
肥前陶磁の様式変遷図