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有田の陶磁史(18)

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前回は、割竹式の登り窯の説明をするつもりでした。でも、やっぱり途中で脱線してしまいましたので、今日こそは一切余計な話しはしないことに決めました。

前回、割竹式の登り窯には、仮称「岸岳型」と「伊万里型」があることをお話ししました。このうち肥前の近世窯業で最初に成立したのは、おそらく「岸岳型」の登り窯かと思われます。この「岸岳型」の最大の特徴は、各焼成室の形状が縦横ほぼ2m程度の正方形に近いことです。たとえば、帆柱窯跡(唐津市)の場合は、横幅2.10mに対して、奥行きは2.15mです。一方、「伊万里型」の場合は、たとえば焼山上窯跡(伊万里市)では、焼成室の横幅1.48mに対して、奥行き1.70m、唐人古場窯跡(多久市)の場合は、横幅1.70mで奥行き2.80mの焼成室があるなど、横幅が1m台で奥行きの長い焼成室を持つことが特徴です。

ただ、両種の窯とも粘土を塗り固めて構築する塗り壁式であることや、焼成室内に火床や砂床を設けること、出入口が片側であること、焼成時に砂床の床に直接窯道具を並べることなど、基本構造自体に違いはありません。しかし、通焔孔である温座の巣の造り方に少し違いがあります。温座の巣は、奥壁の構築の際に分焔柱を等間隔に並べて、その分焔柱と分焔柱の間が温座の巣となります。この時、「岸岳型」では、分焔柱は粘土塊を芯にしてそれに粘土を巻き付けて造っています。そのため、形状的には少し丸みのある四角柱状の柱になります。一方、「伊万里型」では分焔柱は割石を芯に使用しており、四角柱状に加工したものも見られますが、形状的には一定していません。

この二つの割竹式登り窯のうち、「伊万里型」については、現在韓国に残る李朝時代の窯跡に類似します。つまり、朝鮮半島南半部の技術をベースとしているものと推測されます。トチンやハマなどの焼成の際の窯道具類も、見分けが付かないほどよく似ています。本当は、ここで窯道具類の話しがしたくてウズウズしてきましたが、今日は、最初に余計な話しはしないと決めていますので、しません。とりあえず、このように「伊万里型」の割竹式登り窯については、ある程度、源流を追うことが可能だということです。

こうした「伊万里型」割竹式登り窯の技術は、文禄・慶長の役の際に陶工の移住によって技術がもたらされたことは間違いありません。ただ、文禄の役の後、慶長の役までの間に、伊万里市周辺に果たしてどれほどの窯場があったのか。もちろん、まったくなかったとは言いませんが、岸岳と同様にかなり小規模であった可能性は高いように思います。

次に、「岸岳型」ですが…、と行きたいところですが、長くなりそうなので今回は止めときます。初志貫徹、たしかに脱線はしませんでしたが、残念ながら終わりませんでしたね。(村)

 

図1 飯洞甕下窯跡(唐津市)〔岸岳型〕(左) 図2 唐人古場窯跡(多久市)〔伊万里型〕(右)      

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図3 山本洞窯跡(韓国・京畿道軍浦市)(左) 図4 唐人古場窯跡(多久市)(右)

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図5 樊川里5号窯跡(韓国・京畿道廣州郡上樊川里)

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