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天草

最終更新日:

師走に入り早や5日となりました。今朝は特に冷え込んでいて出勤時に見た黒髪山はうっすら雪景色でした。

ところで、現在の有田焼製造で欠かせないものの一つに、天草陶石があります。天草陶石が発見されたのはかなり古く、元禄年間に旧高浜村皿山及び旧下津深江村で採掘されていたと伝えられていますが、定かではありません。正徳2(1712)年頃、肥前の製陶業者に天草陶石を供給したのが、製陶原料として使用した始めとされています。明和8(1771)年には平賀源内が長崎奉行に提出した『陶器工夫書』では「天下無双の上品」と賞賛しています。

ただ、有田焼製造において公然と天草陶石が使われ始めたのは今から100年ほど前のことで、明治34年(1901)当時の陶磁器品評会の出品作に使われていることが記録されています。しかし、この時は他地区の原料を使ったということで違約金を取られたことも記されています。ただ、そこから業界の転換は素早く、翌年の品評会では使い勝手のよい天草陶石を使った作品が多く出品されています。

九州陶磁文化館の学芸員の方からご教示いただいた「陶磁器沿革其他取調書」(明治19年発行)という資料がありますが、それによれば、明治19年当時、陶磁器原料として有田内山や外山では泉山の陶石を使っていますが、嬉野の吉田山や志田山等では「肥後天草郡古坐床深江土路々」などの原料供給地が記されていて、このころ、すでに周辺の産地では天草陶石を使っていたようです。

天草・上田家
天草・上田家

ということで先週、役場の先輩たちと天草へ行ってきました。この先輩たちは10年前、「資料館の周囲の紅葉をライトアップして多くの皆様に楽しんでいただいたら」というアイデアをいただき、総出でライトアップの手伝いと、さらに当時はろうそくを使っていたのでその費用まで負担していただいて始めた時のメンバーです。

(尾)自身は今回で3回目の天草でしたが、天草地方全域で陶石よりも教会群の世界遺産登録へ向けての取り組みが、そこかしこに見受けられました。町屋を活用した案内所の説明方法や展示方法なども多額の費用をかけてとても見やすくしてあり、「いいねえ、有田にもこういう方法で説明があったらね」など、先輩方と議論しながら見学をしてきたところです。退職後も先輩方の有田町に対する思いは生半可なものではなく、今回の旅も有田焼の今後を考える?という目的で天草を選んだ(のではないかも)とのことでしたが、楽しいひとときをご一緒させていただきリフレッシュできました。

さーて、もう一息、頑張らねば!

(尾) H29.12.5

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