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資料目録作り

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過日、町内の旧家のご当主から「自宅の蔵にいろんな資料があるけれど、どうしたらいいだろうか?」という相談がありました。まずはどのようなものが所蔵されているのかという確認のため、ご自宅を訪問。以前も民具などを寄贈いただいていたお宅ですが、文書(276点)や古写真(67点)など、曽祖父や祖父の時代のもの(明治期から大正、昭和初期)等と、すでに大まかに仕分けされていました。

まずは全体的にそれらがどのような内容であるか、その数などを知るために目録を作りたいので一旦、寄託していただきました。現在、その目録作成中ですが、とても興味深いものが多々ありました。その一つに旧制の有田中学校関連の資料がありました。現在、開催中の企画展でも明治17年3月23日の日付がある有田中学校への入学を許可した資料(館蔵)を展示していますが、寄託資料の内、1点は同年3月6日の日付で有田中学校の「公選に依り生長(級長のことか)申付候事」、さらにもう1点は同年6月17日付「初等中学科第七級卒業」の證書です。それと、恐らく開校式に当たっての祝辞と思われる資料がありました。日付は明治17年2月25日で、谷口中秋撰とあります。その一文には「此ノ校ニ入ル者、学問ヲ励ミ知見ヲ明ニシ、子トシテ考ヲ尽シ臣トシテ忠ヲ尽シ、師弟朋友互ニ切磋シ天下ノ偉器、此学校ヨリ出ル事、白石ノ磨礪埏埴シテ陶器トナリ支那西洋ニモ名産ノ如クナラン事ヲ祈ル也」とあり、有田に於ける中学校教育への期待がうかがえます。

「有田町史 政治社会編II」によれば、明治15年の初めに西松浦郡内において県立中学校設置の議が起こったとあります。同じ郡内の伊万里を押さえて有田に設置するようになった理由が4つほど挙げられていますが、最大の理由が校舎・寄宿舎の建築資金として多額の金が必要だが、有田の市中から1500円くらいの寄附金を集めるめどが立っているが伊万里はそのめどが立っていないということでした。
その後、紆余曲折がありながらも明治17年2月に開校しています。町内の白川小学校からは10余人が入学したとあります。この旧家の御先祖様がその一人だったわけです。しかしながら、同17年4月の佐賀県議会において県立中学校は中央に佐賀中学校1校だけを残すことが決まり、他は町村立に移管または高等小学校に転換することとなりましたので有田中学校は短命で終わってしまいました。

まだまだ有田町内に貴重な資料が残っていることを実感しながら、日々目録作りに取り組んでいます。
(尾)H29.12.12

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