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企画展「知っているようで 知らない 明治」はあと1週間で終了です

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先日、有田ケーブルネットワーク様より企画展を取材いただき、今週から放映されているようです。私は現在町外に居住しているため、残念ながら自分の晴れ姿(!)を見ることはできていませんが、本日も「テレビを見てきました」という方が何人もいらっしゃいました。大変ありがたいことです。
さて、その企画展ですが、来週20日までと会期が迫っております。初公開の資料もありますので、どうぞご来館ください。

今回の展示ですが、館報季刊皿山116号(最新号)でも紹介させていただいていますが、4章で成立しています。1章は、明治の「有田」と題し、明治4年の廃藩置県で佐賀藩がなくなってから、明治22年の町村制施行までを、長崎県時代の資料を展示して紹介しています。2章では万国博覧会に関する館蔵資料を展示しています。明治26年シカゴ万国博覧会の褒状や明治37年セントルイス万博の賞牌(メダル)は、今回初めて展示したものです。実は、万博の褒状は大正4年に開催されたサンフランシスコ万国博覧会のものもあったのですが、今回は「明治」と企画展タイトルに明記していたため、展示から外した経緯があります。

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   写真:展示しなかったサンフランシスコ万国博覧会の褒状

3章は学校について紹介していますが、町内小学校の設立の経緯や関連資料を展示し、また勉脩学舎に始まり、有田徒弟学校が受け継ぎ、有田工業高等学校として現在まで続いている有田の実業教育の歴史についても紹介しています。
この徒弟学校については初めて名前を聞いたという来館者もいて、大隈重信の来校の記録や、徒弟学校の設立の経緯、つまり第4回内国勧業博覧会にて佐賀県の陶磁器が酷評を受け、その結果徒弟学校の拡充に繋がったことなのですが、興味深くご覧いただきました。

第4章は主に新聞記事をもとに、明治期に有田で起こった出来事を紹介していますが、一番反響があったのはやはり明治30年ごろに有田を訪れたエリザ・R・シドモア女史に関する展示でしょう。こちらを展示するのは2回目なのですが、今回は文中に「絶縁器と容器」として紹介されている製品を展示しています。これは、香蘭社のことについて解説している文中に出てくるのですが、絶縁器は皆さんご存知の碍子のことです。容器については、実は最近まで現物が確認されていなかった「ダニエル電池の容器」のことです。ダニエル電池は「楕円瓶」とも表現されていますが、湿式電池のことで、明治期の香蘭社は逓信省などから大量の受注を受けていましたが、これまで製品は見つかっていませんでした。
ところが、平成25~27年に行った「泉山1丁目遺跡・中樽1丁目遺跡発掘調査」にて大量に発見されました。こちらも今回初展示となります。この機会にぜひご覧ください。

ぜひ、企画展においでいただき、「知っている 明治」を増やして頂きたいと思っています。
(永)H29.12.14

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