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有田の陶磁史(20)

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前回、何とか割竹式登り窯の説明まで終わりました。もともと登り窯の概略説明のつもりでしたので、すぐに済むかと思いきや、そう甘くはなかったですね。まあ、何事も予定どおりにはいきませんので、気長にお付き合いください。さて、本日のお題は、連房式登り窯というか、割竹式との違いです。

割竹式と連房式の登り窯は、外観がまったく異なりますので、チラ見した程度でも一目瞭然というか、難なく見分けが付きます。と、思うでしょ。まっ、そうなんですが、実際には、そう簡単でもありません。たとえば、窯跡を発掘調査するとします。ほとんどの場合は、残っているのは地面の下だけです。天井も、側壁も、奥壁も残っていないので、壁面の形状は分かりません。いかがでしょうか?そうなると、案外難しそうに思えてきませんか。

やっと発掘調査で得られる情報から、割竹式と連房式の区別が可能になったのは、今から、20年ほど前だったでしょうか。佐賀県や長崎県の市町で発掘調査が盛んになり、ようやく情報が揃ってきたので少し調べてみました。

結果として、割竹式と連房式では、全長に大きな差があることが分かりました。岸岳にある帆柱窯跡は全長30m以上と割竹式としては異次元の大きさですが、通常の割竹式の窯は、15mから、大きくとも20m程度で、焼成室数は7室から11室程度です。一方、連房式の場合は、最も小さくて20m程度、初期の窯でも、大きいものは60mを超えます。焼成室数も10室を下回るものは例外的で、20数室の例も珍しくありません。つまり、規模が分かれば、ある程度は区別できるわけです。

ただ、これだけで断定するのはやはり早計です。窯場の立地や時代背景も、考慮する必要があります。たとえば帆柱窯跡は、なぜ割竹式では別格の大きさなのか。ごくごく素直に考えれば、新しいからだと思うのが自然かもしれません。でも、おそらくは逆です。最初期に造られているため、需給バランスまでは考えていなかったからではないでしょうか。何しろ、九州初の近世の窯業地ですから。もしかしたら、「岸岳型」登り窯の原点となる朝鮮半島の窯と、同じような規模だったのかもしれません。それをそのまま再現したみたいな。ただし、前回お話ししたように、今はこれを確認しようがありません。一方、割竹式、連房式に関わらず、ある程度生産実績のある窯業地ではなく、何の基盤もなかったところに単発的に造られる窯は、逆に小規模な場合も珍しくありません。これは、生産規模に応じて、分相応な大きさにしているということです。

ということで、窯体の全長によって、割竹式か連房式かある程度の区別は付くんですが、やはり、これでは識別方法としては不完全です。ましてや、すでに削平され全体が残ってないため、全長が不明な窯も珍しくありません。やはり、ほかにも手がかりが必要そうです。次回は、それについてお話しします。(村)H29.12.15

図1_1

     図1 飯洞甕下窯跡(唐津市)〔割竹式〕

 

図2_1

     図2 原明B窯跡(有田町)〔連房式〕 

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