文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

有田の陶磁史(240)

最終更新日:

 前回は、せっかく最新様式として南川原山で開発された“古伊万里様式”でしたが、“柿右衛門様式”と違い模倣が容易な様式であるため、すぐに内山の窯場で、容赦なく模倣されまくったって話をしてました。そして、1684年に中国が展海令を発布し、再び中国磁器の海外輸出がはじまったこと。それに伴い、有田磁器を東南アジアへと運んでいた中国船が自国産に切り替えたため、有田磁器は突然ハシゴを外された形になってしまいました。この東南アジア向けの製品は主に外山の中・下級品の山で生産されていました。でも、しかたないので、従来は海外と国内の両にらみでしたが、腰を据えて国内向けに専念することになったってところまででした。

 ところで、中級品生産の山の製品は、大ざっぱに言えば、上半分は高級量産品を生産した内山風の製品、下半分は下級品生産の山の類品です。そして、時期が下るとともに、工業力が進歩し、だんだん内山風が割合的に多くはなってきます。だから、海外輸出向けがコケた頃には、かなり内山風に偏っていたのです。

 そこで、国内で売ろうと思えば、ありきたりなものより、よりハイカラなもんの方が受けるに決まってます。そうしたシチュエーションの中で、タイムリーにも、内山では最新スタイルとして“古伊万里様式”が採用されはじめていたのです。そりゃ、飛びつくでしょ。しかも、この“古伊万里様式”は、ランクの上から下までどこにでも対応できる親和性の高い、とても懐の広い便利な様式ですから。

 しかも、もうこうなると止まりません。中級品生産の山が“古伊万里様式”を採用すれば、そりゃ次は下級品生産の山も負けてられないでしょ。この下級品生産の山の激変は、本当にすごいですよ。“初期伊万里様式”風を作ってたのが、ある日突然“古伊万里様式”に変わってしまうのですから。なので、型式学的に徐々に変化するって考えがちな伝世品の研究では、絶対にこの間に何か挟みたくなってきます。実際に、一つの窯場の中での変化を客観的に追える窯跡の発掘調査でも、この変化を理解するのには、ちょっと時間がかかりましたから。最初は、てっきり窯の休止期間があるのかと思ったくらいです。

 かくして、せっかく“古伊万里様式”を最高級品の様式として育てようとした南川原山でしたが、何ともご愁傷さまでした。何と、急速に高級品から下級品まで、有田全体に“古伊万里様式”が広がってしまったんです。

 つまり、“鍋島様式”を除く民窯製品としては、従来の一列に並べる様式変遷の捉え方では、“初期伊万里様式”の後は、“古九谷様式”、“柿右衛門様式”と続いて、そして“古伊万里様式”に至るという流れで捉えられていましたが、実際にはそれは高級品に限った流れだということです。まあ、高級品の残りやすい伝世品を中心に研究していた時代にはそう考えられてもおかしくはありませんね。しかし、それ以下の製品については、必ずしも“古九谷様式”や“柿右衛門様式”を挟むことなく、“古伊万里様式”へと至るということです。ですから、肥前民窯においては、全体を網羅する様式は、“初期伊万里様式”の後は、“古伊万里様式”だということです。

 ということで、本日はおしまい。(村)

 

                           

 内面                      外面 

下級品生産の山における“初期伊万里様式”風最末期の製品(広瀬向窯跡)  

 内面                     外面

下級品生産の山における“古伊万里様式”最初期の製品(広瀬向窯跡)  

肥前陶磁の様式変遷図

このページに関する
お問い合わせは
(ID:108)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.