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大倉陶園

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先週、奈良に出かけてきました。宿は奈良ホテル。ここを訪れる賓客に対して使われているという食器は大倉陶園の製品だそうで、そのことが昨年末に発行された「ふでばこ 36號 特集 もてなしの器 大倉陶園の百年」で紹介されていました。フロントのそばに展示されている大倉陶園の食器を眺めながら古都・奈良の旅を楽しんできました。

大倉陶園は創業者の大倉孫兵衛・和親親子によって大正8年(1919)に創設されています。それ以前の明治9年(1876)、舶来品の仕入れ販売をしていた森村市左衛門が「森村組」を設立。孫兵衛はそれまで書店を経営していたのですが、森村組へも参画することになりました。和親も明治27年(1894)に森村組に入社。

「製陶王国をきずいた父と子~大倉孫兵衛と大倉和親」(砂川幸雄著)には孫兵衛の回想録が紹介されていますが、そこには明治12,3年頃、佐野常民が大蔵大臣(卿)だったとき、輸出が不均衡ゆえ、輸出を盛んに奨励せねばというので前田正名(元薩摩藩士、季刊皿山No,39・111参照)とも相談し主だった外国貿易商・七会社の重役を呼び出し無利子で10万ずつ貸し下げ、その金をもって輸出を盛んにして輸入より多くなるようにということでそれぞれ政府より金を借り出したことがありました。当主の森村市左衛門が渡米中であったので、孫兵衛が森村組の代表でそこへ出席したものの、「無利子で政府の金を借りて外交の商売をすると、気ばかりおおきくなるのとお役人様のお指図を商売の上にうけなければならぬ。仕入れ具合から輸出具合まで自分勝手にできなくなる。…無利子の資本があると、それに気を取られてツイツイなまける心になるから、これは仲間に入らず、苦しんで働いて資本を作るのが商売の本分なりと考えた」とあります。このときの七社というのは、森村組以外では起立工商会社、扶桑会社、朝日会社、内外工商会社、貿易商会、三井物産(三井物産以外はその後消滅)でした。大倉父子は質の高い高級美術陶磁器づくりに邁進し、理想を追求するために利益を考えず、私財を投じて大倉陶園を創業しました。
「ふでばこ 第36號」には、大倉陶園の本質であるものづくりも詳細に紹介されていますが、現在も都会のど真ん中にあって、創業以来のポリシー・技術を保持し続ける会社の姿は神々しいばかりです。

有田出身で精磁会社の後始末をした手塚栄四郎は、「自叙傳」の中で森村市左衛門の「天に貸せ、貸方に立て」という言葉を紹介しています。栄四郎は明治35年に森村組に入社。兄・国一(季刊皿山No36・46・78参照)もそれに先立って森村組のニューヨーク支店に入社していますが、森村翁の訓戒は関係する会社や社員に浸透し、森村組は年を経て前回、江副孫右衛門さんの時に紹介したTOTOやINAX、日本碍子、日本特殊陶業、ノリタケなど今や日本を代表する会社となっています。市左衛門の言葉に触れるたびに、何が有田と違ったのかということが頭をよぎります。 (尾)H30.2.13

fudebakoookurasara

「ふでばこ 36號特集 もてなしの器 大倉陶園の百年」表紙

奈良ホテル内の大倉陶園の食器

 

 

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