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有田の陶磁史(241)

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 前回まで、最新の様式変遷の捉え方について、その概要を説明してきたところでした。染付製品としては1670年代にはじまる“古伊万里様式”ですが、1690年代には南川原山で色絵の“古伊万里様式”も完成し、またすぐに内山へと伝わって、それを元に“金襴手”の“古伊万里様式”が大々的に生産されるようになっています。

 この“古伊万里様式”に続く様式設定はありませんので、つまり、この肥前磁器の様式変遷という捉え方は、江戸時代に限っても250年ほどの歴史が積み重ねられた磁器生産において、最初の100年足らずの変化を対象としたものだということになります。

 これは、人に例えれば、誕生して成人を迎えるまでの成長の過程みたいなもんだと捉えると分かりやすいでしょうか。だんだん心身共に目に見えて発育していきますよね。だけど、一旦大人になると、短期間での大きな見た目の変化はなくなります。同様に、だんだん磁器生産技術が高まり、洗練もされて、見た目が大きく変わりながら、“古伊万里様式”へと成長を遂げたということです。

 したがって、“古伊万里様式”になったということは、大人になったってことですから、これ以後は見た目自体は大きくは変わりません。ですから、幕末に至るまで、“古伊万里様式”が続くということになっているわけです。

 成長過程である17世紀の磁器は、侘び寂びに象徴される日本的な美意識の体現にベクトルが向かって進み、“柿右衛門様式”で一応それが完成しました。それは、ムダをできる限り省く方向でしたので「マイナス」の様式と言っていいかと思います。一方で、“古伊万里様式”はその真逆で、より手数を加えたものがいいという、いわば「プラス」の様式なのです。つまり、“柿右衛門様式”と“古伊万里様式”の間で、まったく価値観が変わってしまっているのです。

 その理由は、いくつかありますが、その一つは、国内のより広い階層に磁器を普及させるためです。というのは、先ほど“柿右衛門様式”はマイナスの様式だと言いましたが、何も描かれていない空白の部分や非対称な構図に美を感じ取ることができるのは、小さい頃から日本的な美意識に触れながら育った一部の人たちだけです。さすがに、これじゃ広く普及させるのはムリです。一方、“古伊万里様式”はプラスの様式ですので、概念がデジタル的で極めてシンプルなので、とっても分かりやすいのです。高級品だから絵がたくさん描いてある、下級品だからちょっとしか描いてないって感じですね。(村)

肥前陶磁の様式変遷図

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