文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

有田の陶磁史(30)

最終更新日:

前回まで、窯詰めや目積み技法の基礎知識みたいなことをお話ししました。またいつの間にか有田ではなく、肥前の話しになってしまいました。何だか少しややこしい話しだったと思いますが、アレを抜かして、有田の説明もできませんのでご容赦を。

話しを何回か前に戻しますが、窯詰めの説明に入る前に、有田の窯業や陶工達の技術の位置付けや性格について話そうとしているところだったと思います。有田の最初期の陶器生産では、まあ、気持ち程度なのですが、中級品生産窯に見られる組成も認められます。説明したところでは、目積みしないものと、目積みするものの併焼です。ただ、長続きはしません。同じ窯場の中でも、すぐに目積み製品だけになってしまうのです。きっと、最初は移住元と同じようにしてはみたものの、新興産地としての性格に馴染まなかったんでしょうね。

つまり、最初期の窯場は少ししかないとはいえ、有田ではほとんど目積み製品しか焼成されていないということです。これは、有田という産地自体が、下級品の生産場所だったことを表しています。有田で窯業成立当時中心地だった伊万里市あたりには、やはり、とてもかなわなかったということでしょう。雑器ばかり生産している特徴のない産地、いわば、いつ潰れてしまうか分からないような弱小の産地、それが当時の有田の真の姿だったのです。ただ、これは特段珍しいことではありません。窯場は開かれたものの、後に続く窯場が築かれることなく、短期間の産地として終わってしまう場所も多かったからです。逆に、有田などは、そこからうまく抜け出せたんですから、最高に運に恵まれた産地だとも言えます。

それから、こうした中核地から分かれた産地には大きな特徴があります。技術が断片的なのです。中核地である伊万里市周辺には、同じ李朝の技術でもさまざまなものが集約されています。前にお話しした中では、胎土目積みや砂目積みが混在することなどもその例です。李朝の複数地域の技術が、一つの産地の中で一体化しているわけです。ところが、そこから枝分かれした産地の場合は、ごく一部の人が移住するので、その中の特定の技術しか持ち込まれていません。そのため、本家とはだいぶ様相の違った窯業になってしまうのです。しかも、これは枝分かれした場所ごとに異なるので、有田以外では、また違った窯業が展開されることになります。しかも、その後は各地で技術が独自展開するようになるので、もう、肥前の技術としてはグチャグチャ状態で、それぞれ違ったスタイルの窯業が乱立することになるのです。(村)H30.3.2

図1a_1図1b_1

図1 目積みしない製品(a:内面 b:外面)小溝上窯跡

図2a_1図2b_1

図2 胎土目積み製品(a:内面 b:外面)小溝上窯跡

このページに関する
お問い合わせは
(ID:1119)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.