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有田の陶磁史(31)

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最初は、近未来の展望すら描けなかったのが、有田の窯業だということを、前回お話ししました。当然、成立に関わる文献史料などはありません。当時は、肥前でも主要な産地だったわけではありません。特に名声を博すような製品を作ったわけでもありません。磁器創始以前ですから、後々既得権益が争われるような窯業的な資産があったわけでもありません。特に藩との関わりが強かったわけでもありません。少なくとも、特に何かを書き残すだけの必然性がないのです。産地としてすら、いつまで続くか不明な状況だったわけですから。

と言いつつ、参考になる史料がまったくないわけではありません。他力本願にはなりますが、三川内(佐世保市)に『今村氏文書』(『三河内焼窯元今村氏文書』1958)の「折尾瀬村三河内今村甚三郎蔵書写」というのがあります。この文書には、元禄6年(1693)に佐賀藩や大村藩領の古い窯場について調べた記録があります。ただし、それを書き写したのは天明8年(1788)のことですが。この中には、有田では「南河原皿山」と「小溝皿山」の記述があり、小溝皿山には「…是ハ南川原同前ニ出来ル」とあるので、両皿山が同じ頃に成立したことを表しています。これを発掘調査の成果と照らし合わせてみると、南河原皿山が天神森窯跡、小溝皿山は小溝上窯跡(本来は同じ窯場であったと推測される、小溝中窯跡と同下窯跡も隣接して残ります。)のことと推測されます。ちなみに“なんがわら”は、現在では「南川原」と表記する場合が多いものの、「南河原」や「南川良」と記すこともあります。
また、この文献は元禄の頃に調べた記録なので、すでに「皿山」という名称が使用されていますが、天神森窯跡や小溝窯跡が稼働していた当時は、本来ならば、「皿屋」の方が正しいかと思います。これについては、詳しくは、後日お話ししてみたいと思います。

この中で、なぜ有田では、南川原皿山と小溝皿山だけが選ばれているのかは分かりません。ただ、本当にこの二つが有田で最初に成立した窯場であったとしても、発掘調査の成果とも何ら矛盾はありません。というよりも、おそらくその可能性は高いものと思われます。さらに、この二つの皿山が、地元では特に記憶に残る窯場だった可能性も大いにあります。というのは、天神森窯跡や小溝上窯跡は、有田で最初期の窯場であると同時に、窯業をリードした初期の中核的な窯場だからです。
この二つの窯場は、「南原(なんばる)」という地区に位置し、中央の平地を挟んで、南側の丘陵に天神森窯跡、北側の丘陵に中・下窯跡も含む小溝窯跡が対峙しています。有田の初期の窯場は、この二つの窯跡を中心として、徐々に周囲に拡大して行ったのです。(村)H30.3.9

図1_1

                     図1 南原周辺の初期の窯場

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