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有田の陶磁史(32)

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肥前陶器の窯詰め技法は、皿などについて「目積みしないものが主体の段階」(以下、目積みしない段階)から、「胎土目積みが主体の段階」(以下、胎土目積み段階)、そして「砂目積みが主体の段階」(以下、砂目積み段階)へと変遷することを以前記しました。実際には、もう少し詳細に見ると、胎土目積み段階と砂目積み段階は、前半と後半に分けられ、製品の種類や組成が異なります。この中で、有田の場合は、胎土目積み段階に窯業が成立しますが、前半の組成もわずかに認められるものの、ほぼ後半期に窯業地としての姿を整えます。

胎土目積み段階前半は、1590年代後半~1600年代頃です。特徴としては、胎土目積みが多いものの、目積みしないものや砂目積みなど、多様な窯詰め技法が混在することです。陶石目や砂岩目、貝目なども主にこの段階に用いられました。目積みしないものとするものが混在することから、陶器製品の中で、製品のランク付けが明確に行われていた時期であることが分かります。

施釉としては、濃い緑色を呈す灰釉製品と白色~無色の透明釉製品が、一つの窯の中で併焼されていました。これは日本では灰釉と透明釉の陶器として区分されますが、以前お話ししたことをちょっと思い出してください。東洋では同じ磁器でも、景徳鎮風の硬質磁器以外は、必ずしも磁器質であることを必須としません。したがって、要するに大陸的な区分では、青磁と白磁ということです。そのため、青磁である灰釉陶器には施文しませんが、白磁である透明釉陶器には、李朝白磁と同様に鉄絵が施されます。いわゆる絵唐津と称されるやつです。

良質な絵唐津の多くはこの段階の透明釉製品ですが、器面が白色ないしはやや青みのある灰色から、赤っぽいものまで多種多様です。これは、釉薬の種類の違いというよりも、還元焔か酸化焔かという焼成の差が主な原因です。やきものの胎土の色調は、含まれる鉄分の量によって違ってきますが、酸化、つまり酸素が足りた状態で焼くと、錆びた鉄の色と同じように赤っぽくなります。一方、還元、つまり酸素が足りない状態で焼くと、錆びてない鉄の色と同じように青黒くなります。また、還元、酸化とも、鉄分が多いほど黒っぽくなり、鉄分が少ないほど白くなります。透明釉の場合は、釉薬の色調が薄いため、この地肌の色が透けて見えるわけです。

酸化焔焼成の陶器は、この段階が最も多く、胎土目積み段階でも後半にはほとんどなくなります。また、弱還元焔焼成を原則とする磁器と併焼される砂目積み段階には、理論上は、成功品にはないことになります。
鉄絵自体、この前半段階に最も多いのですが、後半と比べると達者で複雑な文様を描くものが一般的です。伝世するような絵唐津の多くは伊万里市周辺の窯場の製品と推測されますが、有田でこの前半段階の組成が認められるのは、天神森窯跡や小溝上窯跡、小森窯跡などで、山辺田窯跡などにもわずかですが例がある程度です。(村)H30.3.16

図1_1
     図1 灰釉と透明釉碗の熔着例(小溝上窯跡)

図2_1
     図2 透明釉皿〔酸化焔焼成〕(小溝上窯跡)

図3_1
     図3 透明釉皿〔還元焔焼成〕(小溝上窯跡)

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