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3月27日 名匠・深海竹治(宗竹)誕生

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嘉永2年(1849)の今日、3月27日(旧暦)、泉山に深海竹治が誕生しました。深海家は有田焼創業に関わる百婆仙の系図に連なっています。竹治は絵画を小城の柴田花守(納富介次郎の父)や長崎の僧・鉄翁に学びました。兄墨之助とともに、父平左衛門のもとで本窯錦(釉下彩)の技法を開発し、絵付けのみならず彫刻の技を駆使した新しい製品を作り続けました。

兄墨之助同様、長年探し続けている竹治の写真は、当町文化財保護審議会副会長の蒲地孝典さんのご著書「幻の明治伊万里~悲劇の精磁会社」に掲載されていました。

明治期に入ると、香蘭社や精磁会社の経営にも加わっていますが、特筆すべきはその技量の高さではないでしょうか。『肥前陶磁史考』には「彼れ窯技は勿論意匠図案或は彫刻に至るまで、巧妙ならざるなく、当時第一の名匠と称せられ、その製品には宗竹の銘ある物に逸品多しといはれている」とあります。明治28年に有田徒弟学校の実技教師となり、さらにはその技量が評価され明治30年には帝室技芸員(今でいう重要無形文化財・人間国宝のような地位)に内定していましたが、残念ながら当時は死病といわれた肺結核で翌31年1月3日に死去しました。息子二人も若くして亡くなり、娘たちは三代百田恒右衛門や初代松本佩山に嫁いでいます。前述の写真はこの松本家に残されていたとのことでした。
現在、竹治は泉山・上幸平共同墓地内に父や兄とともに眠っています。(尾)H30.3.27

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泉山・上幸平共同墓地内にある深海宗竹の墓碑

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