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有田の陶磁史(36)

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前回は、有田の胎土目積み段階に創業した窯場の中から、天神森窯跡と小溝上窯跡についてお話ししました。本日は、その続き…。

3)山辺田窯跡

山辺田窯跡は、黒牟田皿屋の窯場で、これまで1~9号までの登り窯跡が発見されています。ただ、5号窯については物原だけで、窯体は未発見です。9基というと、一見大がかりな窯場のように思えますが、胎土目積み段階にはじまる他の窯場とは違い、操業の下限が1650年代後半まで下ります。つまり、後ろが20年ほど長くなります。
発見されている中で胎土目積み段階まで遡る窯体は4号窯の1基だけですが、陶片の分布などから察すると、もう少しはあるかもしれません。窯跡の調査では、胎土目積みをしないものを併焼する胎土目積み段階前半期の組成の遺構や土層は未発見ですが、その工房跡である山辺田遺跡では、前半期の組成の土壙一括資料もわずかに認められます。ただし、ほとんどは後半期の組成ですが。

山辺田窯跡と言えば、古九谷様式の色絵製品を焼成した代表的な窯場なので、良質な製品の生産窯だと思われている方も多いのですが、実際にはそうたいしたことはありません。特に陶器に関しては、質的にはむしろ野暮ったい感じです。
ただ、小溝上窯跡と並んで大皿などの大型製品を焼成した窯場です。砂目積み段階には一時小型製品ばかりになってしまいますが、1630~50年代には磁器の大型製品が目立つ窯場になりますので、小溝上窯跡と同様に陶器の大型製品の技術が継承されたのかもしれません。

ちなみに、この山辺田窯跡も小溝上窯跡の陶器も大型製品の焼成や施文の特徴、焼成器種、砂岩目積みが認められることなどから、伊万里市の藤の川内周辺の窯場の技術によって成立した可能性が高いものと推測されます。

4)小物成窯跡

天神森窯跡と同じ、南川原皿屋の窯場です。南川原と言えば、17世紀後半の柿右衛門窯跡などが有名どころの窯場ですが、正確に言えば、1630年代以前と40年代以降では、窯業地の場所が少し異なります。
小物成窯跡では、これまでの発掘調査で2基窯体が発見されていますが、遺物の分布などから、もう1基くらいはありそうです。発見された2基のうちでは2号窯が古く、ほぼ廃窯と同時に1号窯が築かれたものと推測されます。

2号窯は、胎土目積み段階後半期に成立し、操業途中砂目積み段階に移行して廃窯となったことが、物原の堆積や窯の焼成室内に残された製品から客観的に判明する貴重な例です。感覚的には、この窯の変遷が、最も有田の平均的な様相を表しているように思えます。
以前、胎土目積みから砂目積みへの変遷は、必ずしも目積み技法そのものの変化ではなく、中核となる生産地域の変遷に起因する面が大きいという話しをしたことがあります。しかし、有田の周辺に限れば、本当に胎土目積みから砂目積みに一つの窯場の操業期間内に変化します。

1号窯の方は、陶器の器種や器形が豊富で鉄絵製品も多いなど、明らかに砂目積み段階前半期の窯で、皿の大半が溝縁皿に単純化される後半期の組成を伴いません。よって、もしこの小物成の窯場が寛永14年(1637)の窯場の整理・統合まで継続していたとすれば、どこか別に1号窯に続く未発見の窯が所在すると考える方が自然だと思います。(村)H30.4.13

図1
図1 山辺田4号窯跡

図2
図2 小物成2号窯跡

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