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有田の陶磁史(244)

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 前回まで、磁器分類の変遷についてお話ししてきました。ちょっと詳しく説明したため、煩雑になってよけいに分かりにくかったかもしれませんね。ですから、本日から“古九谷様式”の説明をする予定にしていましたが、急きょダメ押しで、様式の変遷について簡潔にまとめておくことにします。

 

 まず、大正から昭和初期頃に、彩壺会の活動などを通じて、“古九谷”、“柿右衛門”、“古伊万里”、それから“鍋島”という区分が定着します。それまで関心が持たれていた陶磁器と言えば主に茶道具類で、色絵磁器なんぞは特に評価はされていなかったのです。

 当時は、製品のスタイルの違いは生産場所の違いと認識されていましたので、各々産地の名称が割り当てられています。すなわち、石川県の九谷産の“古九谷”、酒井田家産の“柿右衛門”、肥前民窯製である“古伊万里”、それから佐賀藩御道具山(藩窯)産の“鍋島”です。ただし、当時の研究はほぼ伝世品によるものでしたので、客観的に生産地を推し量ることはできませんでした。だって、伝世品に産地情報はどこにも付帯してませんから。

 つまり、ここが間違えやすいのですが、生産地別の分類ですので、生産時期は特に問いません。ここはお分かりいただけるかと思います。問題は次です。製品のスタイル差による区分でスタートしたものですが、厳密に言えばスタイル(様式)が類似したものという縛りもありません。だって、同じ産地のものであれば、どんなスタイルのものでもいいということになるでしょ。

 そのため、現実的に変な方向へと突き進んだこともありました。あの、アンモナイトの進化(退化)みたいな感じですかね。たとえば“古九谷”。スタイルに関係なく、強引にいいものは何でも“古九谷”にされた時代があったのです。理由がしゃれてます。「九谷の絵は絵師の絵、有田の絵は職人の絵」というのが根拠です。何だか???な根拠ですが、現実的にそれがまかり通った時代があったのです。ですから、現在は「古九谷、九谷説」で粘られている方々は色絵磁器の話しかしませんが、染付製品も青磁も瑠璃釉も、何でもかんでも“古九谷”って感じであふれてましたよね。でも、窯跡は2基しかないのに、あまりに欲張り過ぎたんで、結果的に墓穴を掘ってしまったんですが…。

 まあ、この顛末については、また次回ということにしときます。(村)

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