第26回は、「弥源次(やげんじ)窯跡」です。
所在地は有田町応法です。史跡には指定されていません。
弥源次窯跡遠景
弥源次窯跡は、当時の佐賀県文化館が調査主体となり、1966年度に発掘調査が行われています。その後、1970年に『有田外山応法地方 弥源次古窯址物原ならびに掛の谷古窯址について』-発掘調査報告-が佐賀県文化館より刊行されています。
弥源次窯跡の調査地付近は、宅地や公園造成、土砂崩れなどによる地形の改変が著しく、窯体は埋没か消滅のどちらかで発見できず、物原も一部のみの残存か、物原ではなく工房跡の可能性も考えられます。
出土した遺物は、染付と白磁の磁器製品が出土しており、主に瓶類が多く確認され、上絵付けをした油壺も数点出土しています。また、皿類などは近接した所にある、窯の谷窯跡の製品と類似しており、本窯の物と断定ができません。推定年代は1650年代~1670年代と考えられます。
現在の弥源次窯跡付近は、公園になっており、標柱も建っていますので散策はできますが、近隣の方にご迷惑にならないようにお願いします。(伊)H30.5.10