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有田の陶磁史(38)

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前回まで、有田の窯業成立期に当たる、胎土目積み製品を主体とする段階(胎土目積み段階)の窯業についてお話ししてきました。最初は、天神森窯跡と小溝上窯跡ないしは、それに小森窯跡が加わった程度のごく小規模な生産地でしたが、ほどなく山辺田窯跡や原明窯跡、小物成窯跡なども開窯しています。ただ、それでも合わせて6か所です。案外多そうに思える方もいらっしゃるかもしれませんが、前回添付した磁器成立以前の窯跡分布図をあらためて見ていただけると一目瞭然です。有田全体ではまるでスカスカです。まあ、最初は、こんな弱小の産地だったことをちょっと頭の片隅にでも記憶しておいてください。ということで、今回からは、続く砂目積み製品を主体とする段階(砂目積み段階)について記してみようかと思います。

砂目積み段階の最大の特徴は、何といっても磁器がはじまったことです。すでにどこかで触れたかもしれませんが、陶器生産の窯に加えて磁器生産の窯も新たに出現した、ということではなく、それまで陶器を生産していた窯の中で、陶器とともに磁器も生産されはじめたのです。もちろん、実は陶器と磁器なので、登り窯の別々の焼成室で焼き分けられた、なんてせこいカラクリもありません。正真正銘、同じ登り窯の同じ焼成室で併焼されたのです。

でも、「陶器と磁器じゃ焼成温度が…」なんて方は、このシリーズのずっとずっと昔の記事を再度ご確認ください。陶器と磁器に焼成温度は関係ありません。また禅問答のような内容を繰り返し説明すると長くなるので触れませんが、一般的に陶器に分類される唐津焼は、実際には炻器質であり、たとえばヨーロッパ風の分類で言えば、東洋では磁器である青磁などと同じ区分に含まれます。磁器である青磁が同じ磁器である染付などと同じ焼成室で焼けるということに何の違和感もないだろうと思います。ならば、青磁と同じ区分である唐津焼と称される陶器が染付磁器などといっしょに焼成できても、不思議ではないはずです。何だか、キツネにつままれた気分にでもなりそうな、説明だとは思いますが。

そういう方のために、とびっきりの証拠を一つご紹介します。もしかしたら、以前も掲載したかもしれませんが、小溝上窯跡で出土した図1の製品です。焼成の際にひずんでいるので分かりにくいですが、口の部分が染付磁器、胴部が鉄釉の壺の上部です。鉄釉製品には、磁器も陶器もありますが、内面を見ると、下部に青海波状の宛て目痕が残っており、叩き成形していることが分かります。叩き成形は陶器の技法で、磁器には用いられません。と、いうことは…。口縁部は磁器、胴部は陶器。これぞ陶磁器と言わずして何と呼ぶべきかという、まか不思議な種類の製品なのです。もし伝世品があっても、確実に贋物扱いでしょうね。磁器部と陶器部は焼成時に釉の熔融によって接着するようにしているので、当然、同時に焼かないとこんな変な製品はできません。また、一つの製品に陶器と磁器が使われているということは、陶器と磁器の生産は工人(業者)の違いもない、つまり、ずいぶん見た目は違えど、陶器と磁器に大きな技術差はないということが分かるのです。(村)H30.5.11

図1a_1
図1a 陶器と磁器を組み合わせた壺(外面)

 

図1b_1
図1b(内面)

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