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有田の陶磁史(40)

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前回は、胎土目積み段階から砂目積み段階への移行期の様相について記してみました。その続きです。

砂目積み段階も、胎土目積み段階と同様に、陶器の組成によって、おおむね前半期と後半期に区分することができます。前回お話ししたように、皿を例にすると、当初は胎土目積み段階に近い器形に砂目することからはじまりますが、すぐに砂目積み段階特有の器形が現れます。
砂目積み段階を象徴する皿の器形は溝縁皿です。折縁皿に代わって出現し、急速に皿類の主役になってしまいます。溝縁皿は、折縁皿と類似した器形ですが、通常、口縁部を一度外側に曲げて、端部を軽く上方に引き上げます。これにより口縁部が溝状に見えるわけです。ただ、本当に浅い溝を入れているものもあります。
砂目積み段階の前半期では、皿の主体は溝縁皿ですが、ほかにもさまざまな器形が生産されるのが特徴です。もちろん、皿以外の器種でも、多くの器形が作られます。それから、胎土目積み段階に引き続き、鉄絵を施すものも少なからず残ります。

ただし、圧倒的に生産量の多い溝縁皿に関しては、鉄釉を施すものはあるものの、有田では鉄絵を施すことはありません。多くは透明釉で、砂目積みされ、重ね焼きしないものもありません。もっとも、これは有田や波佐見など、有田町周辺に特有なことで、武雄や嬉野、伊万里など、他の地域ではそんなルールはあってなきがごとしです。たとえば、図2は、塩田町(嬉野市)にある大草野窯跡の出土資料です。器形的には溝縁皿ですが、口縁部には鉄絵が施され、胎土目積みしています。
もう一度記しますが、溝縁皿は、砂目積みで無文が、本来、鉄板のルールです。したがって、有田町周辺以外でも、そういう製品が基本なのは変わりありません。でも、現実的には、胎土目積みや鉄絵製品なんてへんてこりんなものも、少なからず作られているのです。

これは、どう解釈すればいいんでしょうか?実は、溝縁皿は、おそらく有田の窯場が発祥地だと思います。そのため、画期的な新製品である磁器といっしょに同一業者により生産されたわけですが、この磁器の商品化の成功によって、伊万里市周辺に代わり、有田町周辺が肥前の核となる窯業地へと急成長したのです。そして、この磁器の生産技術は、しだいに周辺の窯業地へと伝わっていきました。その際に、生産が一体化している陶器の溝縁皿もいっしょに伝播したのです。ところが、伝播先の窯業地にあったのは、胎土目積み段階の技術です。つまり、その胎土目積み段階の技術で、溝縁皿を作ると、こんな摩訶不思議なものができあがってしまうというカラクリです。あるいは、陶器しか生産していない窯業地の場合でも、肥前の中核地である有田周辺の最先端の陶器の器形を模倣しようとします。しかし、やはりそこにあるのは、胎土目積み段階の技術なわけです。
生産地では、こんな奇々怪々なことがしょっちゅう起こります。これは、別の視点で考えると、有田町周辺で砂目積み製品を生産していた段階に、ほかではまだ胎土目積み製品を生産していたことを示しています。つまり、単純に、胎土目積みだから古く砂目積みだから新しい、なんてことは軽はずみに言えないことが分かるいい例なのです。(村)H30.5.25

図1a_1図1b_1
図1a 砂目積み溝縁皿(内面)小溝上窯跡〈有田町〉1b(外面)
図2_1 

図2 胎土目積み鉄絵溝縁皿(内面)大草野窯跡
〈嬉野市〉

 
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