第28回は、「多々良の元(たたらのもと)窯跡」です。
所在地は有田町黒牟田です。史跡には指定されていません。
多々良の元窯跡付近
多々良の元窯跡は、有田町教育委員会が調査主体となり、1988年度に発掘調査が行われています。その後、1989年に『窯の谷窯・多々良の元窯・丸尾窯・樋口窯』-町内古窯跡群詳細分布調査報告書第2集-が有田町教育委員会より刊行されています。
調査で確認できた窯は、A~Dの4基あります。
A窯は、窯体の一部が表面に露出しており、遺存状態も比較的良く、5室の焼成室を確認できました。物原も急傾斜ですが、登りの左側に残っています。遺物は、染付や白磁、青磁の磁器が出土しており、染付の碗や芙蓉手大皿、青磁大皿を主に生産していたようです。
B窯は、遺存状態が良い部分も確認でき、6室の焼成室が確認できましたが、地形の改変により窯体、物原共に大半は壊滅していると考えられます。遺物は、陶器と磁器が出土しており、陶器は灰釉の碗や皿、鉢、鉄釉の碗が出土。磁器は染付や白磁、青磁、鉄釉があり、染付小皿や碗を主体的に生産し、色絵素地となる皿も多く見られました。
C窯は、窯体自体は発見できていませんが、B窯の登りの真下方向にある丘陵に上る小道付近に18世紀頃の磁器片が散乱しており、付近を調査したところ物原の層が確認でき、19世紀まではいかない遺物が出土したことを確認しましたが、窯本体は造成による壊滅が考えられます。遺物は、染付や白磁、青磁が出土しており、皿を主体に生産していたようです。また、色絵素地の髭皿も出土しています。
D窯は、B窯の南に3室の焼成室を確認できました。地形は改変されていますが宅地等の下に遺存している可能性があります。遺物は、染付や白磁、青磁、染付青磁、瑠璃釉の製品が出土しており、大皿などを多く生産していたようです。他に「本朝天保年製」高台銘の地図皿や、小形の瓶類の出土も見られます。
多々良の元窯は、記述や古地図にも記載があり、文化11年(1814)の記録には18室、安政6年(1859)の絵図には11室、元治元年(1864)には13室程度、明治9年(1876)の記録には局古窯と記載があります。
それぞれの窯の年代は、調査結果と文献等資料から、最初はB窯ができたと考えられ、操業年代は1630年代~1650年代、次にA窯が1650年代~1660年代、C窯が1650年代~18世紀前半、D窯が18世紀後半~大正頃と推定されます。
多々良の元窯跡(標柱・説明陶板)
多々良の元窯跡付近には、窯跡を示す標柱と説明陶板が建っているので、場所はわかると思いますが、付近は、私有地内にありますので近隣の方のご迷惑にならないようにお願いします。また、付近には国史跡の山辺田窯跡や、次回以降紹介をしていく多々良2号窯跡や黒牟田新窯跡が所在しています。なお、有田町教育委員会が1989年に刊行している報告書については、現在在庫がありませんのでご了承ください。(伊)H30.5.31