過日、鳥取市歴史博物館の学芸員・伊藤晴康さんから「鳥取県立博物館研究報告」の抜き刷りをご恵贈いただきました。この中で江戸時代後期、因幡国高草郡の大庄屋家であった近藤萋五郎さんが、鳥取県東部を流れる千代川で、洪水のため水死した人々の供養として一字一石供養塔を建立した折の11年余りの経緯が紹介されています。
一般的には塔の下の一か所に埋納される経石ですが、一字一石に書写された法華経約7万点に及ぶ経石が千代川の上流から日本海に注ぐ河口まで、亡くなった人々への供養のために撒かれたそうで、それを近藤萋五郎さんは「経石流(きょうせきながし)」と称していたとのことでした。
以前、米子市在住の近藤家のご子孫・池田兆一様ご夫妻から、ご所蔵の資料の中で有田焼を発注した経緯がわかる古文書や、実際に購入した焼き物、それらを仕舞っていた箱などをご寄贈いただきました(館報No,92参照)。今回、伊藤さんが紹介されている資料では、大庄屋として近藤萋五郎さんが地域のために尽くされたことがよくわかりました。近年、石塔の所在が分からなくなっていたそうですが、近藤家文書には石塔の図面が書かれていたそうで、これがあったから移転していた石塔を探し当てることができたという伊藤さんのエッセイも紹介されていました。
これらの史実は池田さんが有田焼に関するものは当館へ、米子や鳥取に関する資料は地元の博物館にご寄贈されて判明したもので、これまたご先祖同様、地域の歴史を思うご意思の高さを垣間見た思いです。
(尾)H30.6.25