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有田の陶磁史(45)

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今でも、観光パンフレットや旅行雑誌などでは、「元和二年(1616)に、泉山で陶石が発見されて、日本初の磁器が創始された」などと、記されるものが多いことは前にお話ししました。歴史と言えば文化財課ということからでしょうが、こうした活字の校正依頼も、わりと多く回ってきたりします。毎回本当に困るのが、やはりこの「元和二年に、泉山で陶石が発見されて…」の部分で、スッキリと直そうと思えば文章全体がズタズタになって、もはや校正レベルではなくなってしまいますので、いかにやんわりとぼやかしながら、修正を最小限にとどめるかに頭を悩ませてしまいます。

前回までに記したように、元和二年という年号は金ケ江三兵衛が有田に移住したと記す年であり、磁器の創始とは直接関係ありません。とは言え、考古資料からも、文献史料からも、限りなく元和二年に近い年に、磁器が創始された可能性が高いことは間違いありません。おそらく、感覚的には、1615年か16年あたりが、最も有力ではないかと思います。なので、通常、磁器の創始年代について表す場合は、あまり細かいことが関係ない場合は、1610年代という表現にとどめますし、さらに詳細が求められる場合は、1610年代中頃とすることにしています。

一方、「泉山で陶石が発見されて磁器がはじまった」というくだりですが、こちらもまだ根強い信奉者が多々いらっしゃいます。しかし、当時の窯業の中心地である南原と泉山の間は、直線距離でも4km以上離れており、その間は南北の尖った岩山に挟まれた東西に伸びる谷筋が、唯一通行が可能な場所です。後には、この谷筋に町が形成されて窯業の中心地に転じますが、磁器がはじまった頃には、まだほとんど人も住んでいないような未開の地でした。

というのも、有田の地理に詳しい方なら、一目瞭然ですが、この有田の東側の地域には、ほとんど田んぼや畑もありません。というか、もちろん小さな畑程度はありますが、農業で生計が立てられるほどの場所はないのです。でも、山だらけなので林業ならって突っ込みもありそうですが、何しろ山と言っても、ゴツゴツととんがった岩山の表面に、腐葉土がへばりついているようなもんです。ロッククライミングに適したところはいっぱいありそうですが、林業にはちょっと…。ついでに、西側の下流の地域では有田川として一つに合流するいくつもの川もありますが、何しろ隣の伊万里市で海に繋がる有田川の源流に当たる場所ですから、川と言っても、大きな川を見慣れた方にとってはまさに溝。とても漁業ができるような場所でもありません。つまり、人が暮らそうにも生業にできそうなことがないのです。

こんな4km以上、いや、直線では行けないので距離的にはもっと遠く、おそらくその1.5倍以上の距離にはなるでしょうが、その間の道なき道を重い陶石を運んだなんて考える方が無謀です。水運を利用しようにも、何しろ溝ですしね。上流の方は、川の中にあちこち岩も出っ張ってますし。かつて、通称「ぴょんぴょん橋」と言われる、川の中に石を点々と並べて橋代わりにしていた場所がいくつもあるくらいに、水深が浅い場所も珍しくありません。ついでに、今はダムなどで調整してますが、文献史料などで見ると、川が小さいので、渇水期にはほとんど水がなくなることもあったようですし。

つまり、地理的な条件としては、限りなく、最初から泉山の陶石が使われた可能性は低いのです。では、なぜ、泉山の陶石が発見されて、磁器が創始されたという通説が、できあがったのでしょうか?残念ながら、長くなるので、これについてはまた次回に。(村)H30.6.29

図1_1
図1 有田東部地域の航空写真(写真上方がほぼ北)

* 赤矢印の少し先が泉山 * 黄矢印の少し先が南原地区

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