今年の明治維新150年事業とは直接関係ないのですが、先日、山梨の方から「先祖が藤井紫水だけれど、何か有田に資料が残っていないだろうか」というお電話がありました。藤井紫水については、『反骨の陶芸家佩山』(山本康雄著)や『有工百年史』などに紹介されていて、その名前は何度か目にしたことがありましたが、詳しくはわかりません。
お電話をいただいた方は祖母同士が姉妹であったとのことでした。紫水が有田を訪れた時は、実父と妻との3人で来ており、その後、有田を離れてからの消息がよくわからないということでした。
それほど時間の経過はないものの、子孫の方でもなかなかわからないご先祖さまですが、以前、兵庫県在住の近藤さんから明治期に活躍した女性のことを紹介した資料を紹介していただきました。それは『横濱成功名誉鑑』というもので、その中の「陶磁器漆器金属器及美術品商」という項目に「陶器商界の女丈夫 溝上イト子君」です。佐賀県西松浦郡有田に生まれ、十六歳の時出濱して女芸一通りを修めた後、十八歳で故溝上丑之助さんに嫁いだとあります。丑之助さんは明治二十年に横浜で陶器店を開業したようで、会津・仙台・相馬付近の出荷を受け、商館への売り込みを営んでいたが明治四十一年三月に六人の子どもを残して死去されたそうです。結婚生活は20年で終わりを告げ、当時のイト子さんは御歳38歳。その後、残されたイト子さんは店の経営を一手に引き受けて繁栄に導き、長男の栄之助さんを慶應義塾に入学させ、その成長を待ちつつ家業にいそしんでいるイト子さんが紹介されています。住所は北仲通り三丁目38。イト子さんの写真がないのが残念ですが、溝上丑之助さんは『肥前陶磁史考』には明治9年の「陶業盟約」の中に泉山の窯焼き・溝上竹太郎さんの子孫として名を見ることができます。
現在、泉山地区には溝上家が何軒かありますが、さて、どこのお宅が丑之助さんのご子孫なのでしょうか?今しばらく調査を継続していこうと思います。(尾)H30.7.2