幕末明治維新150年真っ只中の佐賀県内ですが、佐賀県を中心に各市町でもいろんなイベントが目白押しです。9月2日(日曜日)には佐賀市のイベント会場で「有田の日」が行われる予定です。
当時の佐賀藩は文久元年(1861)十代鍋島直正が隠居し、その子直大が家督を継いでいます。直正が家督を継いだのは天保元年(1830)でしたので、30年ほどの在位でした。直正が藩主を継いだころの佐賀藩の借財は13万両に達していたといわれています。この財政難を立て直すのが直正の大きな役目でもありました。
そのころ、有田には正司考祺という、家業は筆屋で、その傍ら金融業も営む人物がいました。独学で学問の基礎を修めたといわれ、多くの著作を残しています。例えば天保2年(1831)、考祺38歳の時に「経済問答秘録」全30巻を書いています。その内容は政治・経済・教育・法律・軍事など多岐にわたり、その後の著作の基礎となっています。その翌年、「倹法冨強録」全五巻を著し、これは親交のあった多久の儒学者草場佩川を通じて佐賀藩の富強策として直正側近の古賀穀堂に提出されています。一介の町民であった正司考祺の提案が佐賀藩の財政改革に寄与したということで、改めてその博覧強記の人生に思いを寄せています。
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倹法冨強録 全五巻(久富家所蔵) |
現在この「倹法冨強録」は町内の久富家に所蔵されています。それは長年佐賀藩の内庫所に保管されていたといわれていましたが、久富家と正司家は縁戚でもあり、先祖の著書を探し求めていた昭和初期、「肥前陶磁史考」の著者中島浩気さんを介して久富家に帰ってきた経緯を「仁露滴滴」(久富二六著)に詳しく述べていらっしゃいます。私家本ですが当館にありますので、興味のある方はご来館の上、ご覧ください。(尾)H30.8.27