文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

今日は何の日?

最終更新日:

今から57年前の10月8日朝、初代松本佩山さんが亡くなりました。享年66でした。佩山さんを紹介した書籍はいくつもありますが、元西日本新聞社伊万里支局長の山本康雄さんが「反骨の陶芸家 佩山」という本を昭和56年に出されています。そこにも佩山さんの人生が紹介されていますが、それによれば彼の人生は反骨そのものながら、陶芸界の先駆的な作家でもあったことがわかります。

 

佩山こと松本勝治さんは明治28年(1895)9月11日、有田町上幸平に赤絵屋の松本米助を父に、母タネの四男として誕生しました。有田工業学校陶画科を卒業後、大牟田や満州などで代用教員や巡査などを経験したあと、大正9年(1920)に有田に戻ってきました。その後、父親とともに窯焼きをはじめ、同15年(1926)、泉山の窯焼きであった深海竹治の五女経代さんと結婚しました。明治の名匠と称され明治26年に死去した岳父・深海竹治と佩山さんは会うことはありませんでしたが、人づてに聞いた竹治の技に対し、「死んだおやじよりいい物を作ってみせる」という思いが、佩山さんを後々名工と言われるまでに育てた気概であったと思われます。

20181008-1

体格もしっかりしていた佩山さんですが、松本家のご子孫から複写させていただいた写真にはトンパン(焼き物の素焼きなどを運ぶ板で長さは約6尺・1,8メートル)を片手で運ぶ姿が写っています。下駄履きで深鉢を50枚乗せた姿は余裕のある様子です。その後、次々と新しい陶芸技術に挑みますが、必ずしも明るい光の中だけではなかった陶芸家生活でした。以前、町内のある方から佩山さんのあだ名は「道のセバセバしゃん」だったというお話を伺ったことがあります。その意味は天下の大道の真ん中を人なきが如くに大手を振って歩く様をいうそうで、無原則な妥協を嫌い、自信に満ち胸を張って歩いていたという人だったことがうかがえます。(尾)H30.10.8

このページに関する
お問い合わせは
(ID:1293)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.