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ブラタモリ効果

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昨今の有田は「ブラタモリ」の話題でもちきりです。これは一人の有田町役場商工観光課職員の積年の取り組みがあってのことでした。

実は彼は有田焼創業400年の年にも一度、この番組を有田でと取り組んだことがありました。でも、その時は残念ながら実現できませんでした。しかし、彼はあきらめませんでした。そして昨年12月に「何とかなりそうです!」と。それからまた、資料収集などで走り回っていましたが、当館の資料なども活用していただく機会が多く、その折、彼が来館する際の合言葉は「森田さんの件で…」というもので、決してブラタモリという表現は使わずに打ち合わせを行ってきました。これは元文化財課の同僚に同じ姓の職員がいましたので、何ら怪しまれる?こともありませんでした。番組では九州陶磁文化館の鈴田館長による軽妙な案内で、これまで知らなかった、知られていなかった有田が紹介されていたのは皆さま、ご覧になった通りです。

 

現在、当館企画展でも香蘭社の歴史を紹介していますが、タモリさんが最も関心を示した香蘭社の碍子製造の歴史は明治3年に遡ります。まだ合本組織香蘭社設立以前で翌4年に東京―長崎間の電信架設工事が着工されると、深川栄左衛門窯だけでは政府からの大量注文に応じきれず、その一部を有田内外の陶業者に下請けさせました。有田でも平林伊平、林与一などが生産しましたが、10年代になると深川以外は製造を中止しました。ただ、貿易商でもあった田代紋左衛門の窯では明治19年ごろになると中国の市場を開拓し、深川と熾烈な製造販売の競争が始まりました。「ブラタモリ」では「フ」という染付銘の入った碍子が紹介されましたが、田代家もまた「大日本有田田代製」の染付銘を入れています。

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しかしながら、田代もまた次第に窯元や貿易商としての家業が傾き、碍子の製造からも撤退しましたので、その後は香蘭社を中心とした生産が現在まで続いています。

 

今回の番組はこのような一職員の奮闘努力のおかげであったことを、老婆心(とうとう本物の老婆となりました…)ながら皆様にお伝えしたいと思い、書き記したところです。(尾)H30.11.5

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