早いもので、今年・平成30年もあと1か月を切りました。2019年の元号がどのようなものになるのか楽しみでもあります。
このほど、12月1日付けで館報「季刊 皿山120号」を発行しました。今回は旧田代家西洋館が国重要文化財指定の答申を受けたことや、明治維新150年関連事業の企画展、唐船城築城800年事業など、資料館や美術館、文化財課がかかわった事柄を紹介しています。ご一読いただけたら幸いです。
当方が担当した秋月藩の絵師・齋藤秋圃に関する事柄はすでに館報やこの泉山日録でも紹介してきましたが、齋藤秋圃という絵師が有田とかかわったことがわかったのはそう古くはありません。
きっかけは、町内白川にあった久保家が解体されるという情報からでした。久保家は窯焼きで久保時太郎という人が活躍した明治のころは、万博や内国勧業博覧会などにも盛んに出品していますし、「肥前陶磁史考」にもたびたびその名を見つけることができます。
「有田皿山遠景」にはその息子与平のことを竹馬の友であった池田忠一さんが「与平ほど指導力を備えた男をわたしは知らない」と、27歳の若さで亡くなった友人を偲んでいます。
そのような久保家には戦後、親類の刑部さんという方がお住まいだったということは知っていましたが、老朽化のため解体されることになり、その事後を任されていた土地家屋鑑定士の方から有田の歴史に役立つものがあれば資料館へとの連絡をいただき、家の中に残っていた文書や漆器などの什器をいただき、その寄贈に関する文書を東京在住の刑部さんと交わしました。
そうしましたら、一旦、東京へ移した旧久保家の資料が有田町に役に立つならばと、万博へ出品した焼き物や文書資料、屏風などもごっそりと送り返していただいたのです。この中の屏風が齋藤秋圃の手による「四季耕作図」でした。その後、佐賀県立博物館からも借用があって改めて齋藤秋圃のことを調べ始めた次第です。
今回、この齋藤秋圃が描いた江戸時代の有田人を3人紹介しましたが、他の絵には誰を描いたか記されていないものも多く、もしかしたら皆さまのご先祖様が描かれているかもしれません。齋藤秋圃の絵が家にもあるよと思われる方、ぜひご一報を。(尾)H30.12.3