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有田の窯跡33 -小溝上窯跡-

最終更新日:

第33回は、「小溝上(こみぞうえ)窯跡」です。

所在地は有田町南原です。史跡には指定されていません。

 

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小溝上窯跡遠景

 

小溝上窯跡は、1986年に九州陶磁文化館が、1993年~1996年にかけて有田町教育委員会が調査主体となり、発掘調査が行われています。その後、1987年に『楠木谷窯・小溝上窯』が九州陶磁文化館より刊行、1994年に『小溝上窯・年木谷3号窯』、1995年に『小溝上窯・向ノ原窯』、2011年に『小溝上窯跡』が有田町教育委員会より刊行されています。

これまでの発掘調査で確認された窯体は5基で、1・2号窯については、胴木間から上部まで途中確認できない焼成室もありますが、特に1号窯については胴木間から窯尻までの全長が66mに及ぶことが確認できました。2号についても胴木間が半分削平されていたものの、全長が推定50mにも及ぶことが確認できています。3~5号窯については、窯体がほぼ同じ位置で重複していて、明確な遺構が確認できていないものの、2号同様に全長が50m近くあったものと考えられます。

遺物は、陶器と磁器が出土しており、陶器は灰釉の碗、皿、小杯、片口鉢、瓶、鉄釉の碗、皿、片口鉢、すり鉢、刷毛目の碗、皿、が出土しています。磁器は染付の碗、皿、鉢、小杯、瓶、壷、香炉、緒締め玉、青磁の碗、皿、香炉、鉄釉の碗、瓶、辰砂の碗や鉢が出土しています。物原が重なっているため、厳密な区分ができないものも多いのですが、焼成時、胎土目積みよりも砂目積みが多く見られます。窯道具のハマは基本的に円板形で逆台形のものも見られ、ボシも確認できています。

『今村氏文書』に小溝山の記載があり、小溝山は金ヶ江氏や家永氏のゆかりの窯場である可能性があり、中心的な焼物の初期の窯場のひとつと考えられます。

出土した遺物等から、1・2号窯が1600年代~1620年代、3~5号窯が1620年代~1630年代の操業と推測されます。

 

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小溝上窯跡

 

小溝上窯跡の付近には、以前ご紹介した小溝中窯跡や小溝下窯跡が所在しています。いずれも近くには標柱や説明板が建っていますが、私有地や溜池の近くにあり、容易には見つけることが難しいかもしれません。また、草の生茂る季節には標柱等も隠れているかもしれません。現地を訪れる場合は十分に気をつけてください。なお、有田町教育委員会発行の発掘調査報告書については、有田町歴史民俗資料館において取り扱っておりますので、お問い合わせください。

今年最後のブログとなりました。今年は大きな変化があった一年でした。ブログのほうは途中から忙しさにかまけてサボり気味でしたが、来年もがんばっていきたいと思います。来年もどうぞよろしくお願いします。皆様、良いお年をお迎えください。

(伊)H30.12.27

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