いよいよ2018年の勤務も今日で終わり。本年最後のアップとなりました。今どき有田の陶磁史関係のブログなど、ネット上に掃いて捨てるほどありますが、さすがにこれほど即効性のない、一見何の役に立つのやらと思わせるほどマニアックなものも、逆には珍しいのではないかと思います。それにも関わらず、本年は辛抱強くお付き合いいただき、大変ありがとうございました。すぐには効き目は現れませんが、陶磁史を理解する上での基礎体力作りだと思っていただけると幸いです。
ということで、前回までに、長い長い明治時代が終わりました。続く大正時代(1912~26)は、期間としては長くはありません。しかし、磁器創始者説に関しては、なかなかの画期となった時代です。ここから昭和の前期にかけては、地元がバリバリに力を付けてきますので、その影響が逆に全国に波及していくことになるのです。
明治時代には、祥瑞に加えて、朝鮮陶工説が必ず併載されるようになりましたが、祥瑞説の抹殺を目指して、あの手この手を駆使して両者の切り離し工作が起こりました。そして、ゆるりゆるりと祥瑞説がしぼんで行くわけですが、ただ、別に祥瑞を積極的に肯定する材料もないかわりに、否定するだけの根拠もないわけですから、あくまでも朝鮮陶工説を強調することによって、祥瑞説の盛り下げ効果を狙った面が大きいのです。というか、大げさに言えば、地元では、はなから祥瑞なんてどうでもよくて、あくまでも有田における磁器の創始が問題だったわけです。
ただ、中には北島似水さんのように、ついには祥瑞を陶工じゃないことにまでしてしまった人も現れましたけどね。まっ、先見性という意味では、間違いではないですが、これじゃ「妄想の妄想による妄想のための妄想」みたいなもん。ただ、いくら似水さんがその卓越した心眼で見通そうとも、世間の側が、祥瑞が中国からの技術をもたらした陶工であったという認識が変わらない限り、急に祥瑞説が消えてなくなる道理はありません。
こねくりまわした説では意味がありませんので、まず最初に、この大正時代の最も正統的(?)な祥瑞説をご紹介しておくことにします。以下は、大正7年(1919)刊行の日本陶磁器協会編の『日本陶磁器全書』(第6巻)の一節です。
「伊勢松坂の産、五郎太夫祥瑞なるもの、製陶の技を修めんとして支那に赴き、一五一三年(永正十年)帰朝するや、共に土釉を齎(もたら)し来たりて、少数の陶器を製作せり、今これを彼れが遺作によりて判ずるに、彼れは(一)上釉の下に藍色を以て文様を表はしたる染付焼。(二)赤、茶、黒、緑、紫、及び金等を以て上釉の表に錦綾の如く文様を描きたる錦手焼。則ち所謂、「古日本」に屢々(しばしば)見る所の法にして、今尚肥前焼に多く見る所のものなり。(三)青磁(四)ヒビ焼の四種、齎せるものの如しと雖も、錦手の製をも彼れに発すと云うは、少しく誤れりと云ふべし。」となっています。
よくある、伝言ゲーム、孫引きの恐ろしさですね。江戸期の元の説と比べると、適宜明治の説も取り入れつつ、さらに成長をも遂げています。もう、当然のように土や釉などの原料は中国から持ち込まれたことになっており、製作した磁器も少数になっています。別に世の中に残る祥瑞作とされる製品の数が、以前よりも少なくなったわけではないんですけどね。でも、現実的に祥瑞がもたらした技術の影響はどこにも残っていないわけですから、少なくとも観念的には、たくさんの製品を作ったことにしたんでは、あまり都合はよくないでしょうね。
ただ、まあ、それよりも驚くのが尾ひれ…。少数作ったという割には、(一)の染付はともかく、(二)錦手焼、(三)青磁、(四)ヒビ焼。ついに、染付に加えて、色絵、青磁、ヒビ焼までですか…?いくら何でも、風呂敷広げすぎ!
たしかに「色絵祥瑞」って種類の製品はあるので、「錦手の製をも彼れに発すと云うは、少しく誤れりと云ふべし。」っていうほどではないかと。ただ、さすがに金彩まで使ったことにしちゃーマズイでしょ。でも、当時の世間では、全部祥瑞がはじめたという認識になっていたということでしょうね。
ところで、この祥瑞の錦手は「古日本」にしばしば見られる技法とのことらしいのですが…、「古日本…??」。これって皆さまはご存じですか?新手の珍種…?不覚にも知りませんでした。ただ、平気で不粋な数字やアルファベット名を付けて分類する考古学の分野が進出するだいぶ前のことですから、当時なら美術史かせいぜい茶道か骨董関係の用語でしょう。それが、こんな美意識のカケラも感じられない用語なんぞを新造するはずもなし。
「古日本…? 古日本…??」。本文中には、金彩がどうじゃら、輸出がどうじゃらなんて記述も…。「もしや…?」。(古 → Old)+(日本 → Japan)=(Old Japan)。「な〜んだ…。これかい。」。主にヨーロッパ向けに作られた“Old Japan”とか“Old Imari”とか呼ばれる、例の金襴手に象徴されるやつのことみたいですね。でも、確かに技法としては同じ上絵付けですが、そもそも祥瑞と金襴手を比べること自体どうなんでしょうね?つまり、こういうところが、祥瑞自滅のはじまりということです。後々誤りを指摘できるネタを、わざわざ提供しているようなもんですから。
ということで、本日はここまで。それでは皆さま、よい年末年始をお迎えください。また来年も、引き続きよろしくお願いいたします。(村)H30.12.28