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有田の陶磁史(68)

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年末、最後のブログを担当しましたが、今年も幸運(?)にも初っぱなに当たってしまいました。いいんですが、あまり運良く当たり過ぎると、原稿の執筆がちょびっと不安…。何しろこのブログ、ご承知のように中身は毎回同じような内容ながら、さりとて、いざ調べるとなると相当手間ひま掛かりますので、空いた時間との戦いなんです。いや、正確に言えば空いた時間じゃなくて、無理やりかき集めた時間なんですが、これから年度末に向かって、かき集められる時間にもちょっと限界が…。一年でも最大の難所です。それはともかく、とりあえず、本年もよろしくお願いいたします。

さて、前回は、大正7年(1919)刊行の日本陶磁器協会編の『日本陶磁器全書』(第6巻)の中から、大正時代のオリジナルに近いと思われる「日本磁器祥瑞創始説」について、お話ししました。ついでに、例の「古日本」の話しとかも。

本日は、同書の記述の中から、「朝鮮陶工磁器創始説」の方を示して、明治時代から何が変わらず、何が変わったのか、見ていきたいと思います。

「十六世紀の末、太閤征韓の役あり。陶工を伴ひ来りて、諸州盛に陶業を起すに至れり。これ等の韓人陶工中、殊に記すべきは、李参平にして、鍋島直茂の臣多久安順(ヤスヨシ)と共に肥前に来りて土器を焼成せり。現に其窯趾の付近より掘出す所ホリダシと称するは此工人の遺作と称すべきなり。後有田に近き泉山に良土を得て、始めて陶器を焼成せり。爾来泉山付近をして偉大なる発展をなさしめたるは、実に彼れが良土発見の賜と云ふべし。」

というものです。引き続き、もう一つ文献を掲載します。

「有田窯は慶長三年鍋島直茂、朝鮮を征して還るの時、朝鮮人李参平という者あり、直茂の臣多久長門守安順に従いて帰化す。而して後李参平、彼の国の瓷法を以って瓷器を製せんことを乞う。安順之を許して之を製せしむ。李参平は朝鮮の金江の人なるを以って金江氏(かながえ)を冒す。頗る良工なり、子孫今に至りて猶お陶器に従事す。初め李参平肥前の田中村に至り、陶器を造り試むと雖も良土を得ず。当時の器往々世に存す、然れども瓷器多く間々白磁の者あり、之を堀出手と云う。其の後白堊(亜)を松浦郡泉山に檢出し、始めて清潤潔白の磁器を製することを得たり。相次ぎて遠近より工人来り集まり、終に一部落をなせり、今の有田焼則ち是なり。其の地泉山の前面小渓中にあり、泉山は満山悉く磁に適応なる種々の良土及び釉料の土石を産す。」

これは、以前もご紹介した明治10年の『工芸志料』です。よ〜く見てください。何か違いますか?『日本陶磁器全書』の中身って、『工芸志料』の中身を適当にかいつまんで記したような内容になっていると思いませんか。少なくとも、文体が多少違う程度で、特に新鮮な内容はありませんね。むしろ、ホリダシなんて明らかにパクりが見え見えって感じですね。まあ、どっちも全国を網羅した窯業の概説書みたいなもんですから平均的な内容になるのは分かりますが、あえて全国系という言葉を使えば、全国系はもはや材料が出尽くした感は否めません。まあ、全国系であっても、中には毛色の違うものもなきにしもあらずですが、その内触れることになるかもしれませんが、そういうのは大体地元系の息がかかっているようですね。

ちなみにっていうか、主題とは何も関係ありませんが、今回示した二つの文献のやきものの種類の呼称をそれぞれ見直してみてください。「土器」、「陶器」、「瓷器」、「磁器」なんて種類が見えますね。もちろん、これは現代のやきものの分類をイメージすると、まったく意味が通りません。もう大昔になりますが、このシリーズでやきものの分類についてあれこれ説明しました。何とも小難しい内容で、「こんなどうでも良さそうなことが、いったい何の役に立つのやら?」、せいぜい研究者のたわごとくらいに感じられた方も少なくないかと思います。ある意味、ごもっとも!!でも、いかがですか?この明治と大正というそれほど変わらない頃の著者が書いたものですら、同じ語でも意味が違うのです。いや、案外こうした例は多いんですよ。だから、一つの単語だけに反応して飛びつくと、その後思わぬ方向に解釈が歪んでしまうことになります。大ざっぱに言えば、この頃の文献で「土器」と記される場合は、現在の土器か陶器か、はたまたその両方を示すのか、「陶器」の場合は陶器か磁器かそれ以外なのかを総合的に判断する必要があるということです。

それから、もう一つの「瓷器」関連の記述…。おそらく多くの方には、チンプンカンプンな内容だと思います。要するに、現代語で要約すると、李参平が最初に作ったのは「陶器」で、窯跡の陶片で見るとその多くは「瓷器」で、その中には、まま「白磁」も含まれている。そして、その後「磁器」がはじまったということです。いかがですか?お分かりいただけたでしょうか…?まさかね??これで分かれば、相当の達人です。

いま一度、丁寧にやさしくご説明いたします。つまり、李参平が最初に作ったのは「陶器」という種類です。その陶器という種類の製品の胎土を見ると、多くは「瓷器」(≒炻器質)だけれども、まま「白磁」(=磁器質)のものも含まれている。そして、その後今日磁器として認識される(中国風)「磁器」がはじまったということです。つまりこれは、陶器の中に炻器質も磁器質も含まれる本来の東洋的なやきものの分類と、元染付を源流とする磁器を主に磁器と区分する明治時代に入ってくる西洋的な分類を合体して捉えないと、解釈ができないのです。(村)H31.1.4

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