新しい年が始まり、すでに一週間が過ぎましたが今日が(尾)の最初の担当日です。改めておめでとうございます。今年も有田町歴史民俗資料館・有田陶磁美術館・有田町教育委員会文化財課をどうぞよろしくお願いいたします。
今年も初詣は長崎県千々石の橘神社に行ってきました。ちょうど宮司さんにもお会いでき、昨年の企画展のこと、唐船城築城800年のことなどお礼を申し上げることができました。
ところで、1月3日の朝日新聞のコラムに「万博が問うもの 先達の志、そして我々は」という一文があり、そうだ、そうだと思わず同感し拍手したところです。それによると、1964年の東京オリンピック目前にして小松左京氏や梅棹忠夫氏、加藤秀俊氏らによる「万博を考える会」が産声をあげ、官製ではなく、民間が自主的にどんな万博を志すべきか、議論を始めたそうです。
昨年の企画展のテーマは万博でしたが、前述の識者たちは19世紀の万博は産業・技術の情報交換の場であって、20世紀前半は新しい概念の美術や建築を競い合い、戦後は自らが考える理想や未来像の構想を展示を通じて繰り広げる場に変化したと考えていました。
そこで、徹底的に議論し、磨き、実現を目指して「開けゆく無限の未来に思いをはせつつ」で始まる基本理念が完成したそうです。
開会式で当時の佐藤栄作首相は「世界平和の維持増進は政治経済だけでなく、各地域、各民族間の文化的な面での、深い相互理解と信頼が、ますます必要になっている」とし、万博が「世界的な対話の広場として役立つ」ことを念願すると結ばれています。
ご存知のように、万博後の跡地は現在、国立民族学博物館となって、世界中の諸民族の生活の資料を収集展示する施設となっています。(尾)も数十年前の学生時代、吹田市内にある通称「民博」に行ったことがあります。展示のモノも豊富でしたが、当時としては映像を駆使した展示に驚いたことを覚えています。
前回の万博はこのような高い志を持ったものでしたが、今度の大阪万博は予定地の夢洲の活用ありき、経済効果ありきで挙句には万博後の活用がカジノというのは、あまりに先達に顔向けができないのではないかと思ったことでした。(尾)H31.1.7
百田さんに活けていただいた迎春の花々