昨年末、横浜市在住の一ノ瀬信子さんがご逝去されました。信子さんは戦場のカメラマンとしてカンボジアで非業の死を遂げた一ノ瀬泰造さんの御母堂でした。
ご子息の死後、彼が命懸けで撮影したフィルムをご主人とともに武雄市の自宅の片隅に手作りの暗室を作って、何年もかけて現像・焼き付けをし、その後、写真集や本を出版されました。
当館ではこれまで、平成16年度と平成19年度の二度にわたって「一ノ瀬泰造写真展」を、開催しました。(館報 No64、No76 参照)彼は学生時代、武雄に帰省するたび有田まで足を運び、泉山磁石場や焼き物の工房、陶器市などを撮影していました。企画展では、信子さんと姪の永渕教子さんに、残された数多くのネガから有田関連の写真を選んでいただいて展示しました。
泰造さんは戦場を被写体とするカメラマンというイメージが強いのですが、昭和48年に一時帰国した際、信子さんに「有田」をライフワークにしていこうと思っていることを告げています。しかしながら、同年11月22日、「地雷を踏んだらサヨウナラ」という友人へ別れの言葉を残し、単身アンコールワットに潜入後、消息を絶ちました。
ご遺族からいただいた挨拶状には、武雄から子どもさんたちが住む横浜に移住して十年、最後は穏やかな晩年を過ごされたとありました。謹んでご冥福をお祈りいたします。(尾)H31.1.28