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有田の陶磁史(79)

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前回は、大正時代の祥瑞磁器創始説をまとめてみました。引き続き、今回は李参平説についてまとめておくことにします。

大正時代の李参平説は、全国区説では、段々朝鮮陶工が優位にはなるものの、まだ祥瑞の息の根が止まるほどではありませんでした。もちろん、日本人陶工五郎太夫祥瑞は健在です。

ところが、有田では前年の有田焼創業300年を記念して大正6年(1917)に建立された「陶祖李参平之碑」を契機として、祥瑞完全無視状態となり、以後、地元説の中ではまともに取り上げられることはありませんでした。これを彩壺会の鹽田力蔵の言葉を借りれば「さうして本場の有田にも少しは其やうな話し(祥瑞説)が伝はって、一部の人には信ぜられて居る位になったけれども、同地の大部分のものは朝鮮人の子孫である所から、さう云ふことを余り耳にいれない方である。」ということになります。

しかも地元説では、もちろん磁器創始は有田町の白川(天狗谷窯)で、山内町(武雄市)の百間窯のことなどもきれいさっぱり切り捨てられています。しかし、全国説では相変わらず、以前お話ししたように、「(1)乱橋 → (2)泉山発見 → (3)白川(天狗谷窯)に築窯 → (4)中樽奥(小樽1・2号窯、百間窯)に築窯」と、「(1)乱橋 → (2)百間窯を築窯 → (3)中樽(小樽1・2号窯)に築窯 → (4)天狗谷窯築窯」説が並立していました。

また、磁器創始年代については、まだ通説はなく、漠然と元和・寛永(1615~1644)頃と考えられていました。そのため、「陶祖李参平之碑」にも、元和2年(1616)に有田の乱橋にきて製陶を行い、その後泉山を発見して白川に移住して磁器を製出したとしか触れられていません。

余談ですが、この「陶祖李参平之碑」を建立する契機となった有田焼創業300年ですが、大正5年(1916)に行われています。ここで問題です。この年代で何か気づきませんか?1916年の300年前と言えば1616年、そう陶祖李参平が有田に移住したとする年です。これが有田で磁器が創始されて300年という意味でないことは一目瞭然です。実は、300年祭の当時、陶祖李参平に関して判明している実年代は、有田移住の年だけでした。そのため、その年を基点として300年祭を行ったというわけです。つまり、現在では多くというか、ほとんどの方は、磁器創始何百年だと勘違いしてますが、もともとは、陶祖李参平を顕彰するための陶祖祭だったのです。

これが磁器創始に変わったのは、昭和41年(1966)の350年祭からです。これは、もちろん磁器創始説の変化によるものですが、それについては、これから昭和時代の研究史で、ご紹介していくことにします。

(村)H31.3.29

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