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有田の窯跡38 - 樋口窯跡 -

最終更新日:

第38回は、「樋口(ひぐち)窯跡」です。

所在地は有田町南山です。史跡には指定されていません。

 

樋口窯跡付近-2
樋口窯跡付近

 

樋口窯跡は、1982年度、1988年度に有田町教育委員会が、1984年度には九州陶磁文化館が調査主体となり、発掘調査が行われています。その後、1985年に『百閒窯・樋口窯』が、九州陶磁文化館より刊行され、1989年に『窯の谷窯・多々良の元窯・丸尾窯・樋口窯』が有田町教育委員会より刊行されています。また、1988年には『有田町史 古窯編』でも紹介されています。

発掘調査では、少なくとも4基の窯体があるとわかっており、1号・2号・4号の3基の窯体は確認されており、3号の窯体は未調査ではあるものの物原層は確認されています。1号窯は3号窯の物原層の下にあり、遺存状態は8mある物原層により詳細は不明です。2号窯は茶畑や道路等で地形が削平、改変されているものの調査地点では側壁が75cmも残存していることが確認されています。4号も同様に茶畑や道路等で地形が削平、改変されているものの、道路の法面に焼成室の断面が露出しているのが確認できます。

1号窯の遺物は、陶器は鉄釉の碗・瓶・壺が出土していますが4号窯の製品と酷似しているため、4号窯の可能性があります。磁器は、染付の碗・瓶が出土しています。2号窯は、陶器は鉄釉の小碗、磁器は染付の碗・皿・鉢・向付・猪口・香炉・瓶・壺、白磁の小杯、瑠璃釉の香炉が出土しており、精緻な製品が多く確認されます。3号窯は、陶器は確認されておらず、磁器は染付の碗・皿・鉢・蓋物・向付・瓶、白磁の皿、錆釉染付の瓶、青磁の皿・火入れ、染付青磁の皿が出土しており、皿・鉢類が主体です。4号窯は、陶器が鉄釉の碗・瓶・壺・すり鉢、銅緑釉の瓶、磁器は染付の碗・皿、白磁の人形が出土しています。鉄釉の陶器を主体に生産していたとみられます。

文献等にも記録があり文化11年の記録には13室、元治元年の記録では6室、明治9年の記録に上南川原窯とあり、幕末~明治頃の樋口太平(太右ヱ門)の窯ということがわかっています。遺物や文献等から、1号窯が1650年代~1660年代、2号窯が17世紀末~1720年代頃、3号窯が18世紀~19世紀、4号窯が1640年代~1650年代の操業と推測されます。

 

 

樋口窯跡標柱-1
樋口窯跡標柱

 

樋口窯跡の付近には、前回紹介した小物成窯跡をはじめ南川原山の窯場が所在しています。いずれも近くには説明陶板が建っており、公園になっている場所もありますが私有地もあり、現在草木も生茂り、蛇や蜂、マダニも出てきますので、現地を訪れる場合は十分に気をつけてください。

なお、1988年刊行の『有田町史』については、有田町歴史民俗資料館において取り扱っておりますので、お問い合わせください。

(伊)R1.5.30

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